ツンデレーション



最近なにかと暇なので観察日記をつけてみようと思う。おれは気まぐれな性格だからそう続くとは思わないが、まあいい。
観察対象は同期のあいつ。断っておくが、おれは別にあいつに気があるとかそういうんじゃない。
むしろ、気があるのはあいつの方で、それがまあ観察の理由っちゃあ理由だな。
可愛い子から好かれるのはウェルカムだが、相手は根っからの真面目体質でお堅く、女らしさも、愛想というものも知らない。
だれかが「ありゃあ、ツンデレだな」なんて言ってたがそんな可愛いもんじゃない。デレなんてそうそう拝めるもんか。
それでも、なぜかわかるんだ。あいつはおれが好きだって。



観察そのいち

午後の休憩時間に、喫茶室で事務の女性陣三人組とコーヒー片手にお話する。自分で言うのもなんだが、おれはモテる。自慢じゃなく事実だから仕方ない。
我が企画部にいる派遣の女性陣はレベルが高く、仕事を円滑に進めるための愛想としての意味をのぞいても仲良くしておきたい。
彼女たちの可愛さは癒しだ。どっかの誰かとは大違い。
女性にモテるコツはどんな些細な変化も見逃さないこと。今日は事務でも一番年下の木下さんがえらく凝った髪型をしていた。
ゆるい編み込みが前髪から頭の後ろへ自然と流れてる。おれにはそれがどうなっているのかさっぱりわからないが、そう簡単にできるものではないように思えた。
編み込みの辺りを優しくなでて、素直に「すてきだね」って誉めたら木下さんは顔を赤らめて「ありがとうございます」って言った。

三人がきゃっきゃっと言い出すころ、ちょうど喫茶室の前をあいつが通る。
実はこの時間、あいつが非常階段でひとり寂しく休憩して戻ってくること、おれは知ってた。
だいたいいつも休憩の終わる二分前にはここを通る。それを知ってて、木下さんを誉めた。
いつものように無表情で通り過ぎて行ったあいつがどんな反応をするか楽しみだ。

案の定、次の日には効果が出た。無駄に浮き足立って柄にもなく朝早くにオフィスへ行くと、いつも一番乗りのあいつが自分のデスクで軽い掃除をしてた。
たいして汚れてもいないのに掃除する、これがあいつの朝の日課なのだ。
熱心に書類を束ねているあいつの髪、いつもはシンプルなポニーテールにしてるだけの長い髪が、今日は不器用に編み込まれていた。
少し触れば今にも崩れそうなそれが頭の上で揺れている。
オフィスに入ってきたおれが思わず吹き出すと、あいつがじろりとこちらを見る。にらんでいるようでおれの反応を伺っていること、おれは知ってる。
「なにそれ、寝癖?」って訊いたら、あいつはキッとにらんで「そうですけど、なにか?」って低い声で返してきた。おれは終始、苦笑が止まらなかった。

ぽつぽつと社員が出社してきて、始業時間になった。トイレから戻ってきたあいつの頭はいつの間にか、いつものシンプルなポニーテールに戻ってた。
おれの言動ひとつにいちいち振り回されているあいつは、おれのことが好きだ。でも、そんなの表だっては伝えられない。それがあいつの性格だから。
代わりにすごくわかりにくいアピールをしてくる。それがおれにはおもしろい。



観察そのに

金曜日の夜、久しぶりに部をあげての飲み会になった。うちの企画部は比較的、交友関係の深い方で酒好きも多いせいか、こうしてちょくちょく飲み会がある。
あいつはこういう派手な飲み会が好きじゃない。でも、かならず出席する。なぜっておれがいるからだ。
行きつけの居酒屋で大部屋の座敷に通されて、おれはあいつの隣になった。いや、わざととなりになるようにしたんだけど。

仲の良い同期の平沢と話しながら、左隣のあいつに体を寄せる。後ろに手をつくと、不自然でない程度に肩が触れ合う。
避けようと思えば避けられるはずだ。でも、あいつは避けない。ちらりと様子見れば、酒の入った係長のぐだぐだ話にうなずきながら、あいつは耳を赤くしてた。
飲み会では酒を飲まないあいつの耳が赤い。

おもしろくなったので、トイレへ立つ際に酔ったと見せかけてよろめいた振りをしてみた。
背中にかかるおれの体重にあいつはびくりと震えたけれど、なにも言わない。
「悪い」ってわざと耳元で言ってやれば、肩を丸めたあいつはちっさい声で「……重い」って言った。やっぱり耳が赤かった。

便所で用を足していたら、同じく同期の平沢がやってきて「あんまりいじめてやるな」なんて呆れたふうに言う。
なんのことかわからないととぼけてみせれば、馬鹿にしたようにため息をつかれる。そうか、やっぱり平沢にもあいつがおれに気があるってわかるのか。
なんだか、それはしゃくだった。平沢はおれの肩を叩いて「お前ほど器用じゃないんだからさ」なんて言って先に便所を出ていった。平沢の奴、手洗ったんだろうな?

別におれはあいつに気があるわけじゃない。おれのタイプはあんなお堅い奴じゃなく、甘え上手な可愛げのある女の子。
恋人にはたまに意地悪言って、でも最終的にどろどろに甘やかしてやりたいタイプ。あいつはどのパターンにも当てはまらない。
いや、あいつが甘えてきてもキモいだけだが。だいたい、こんな観察を続けているのも、今はたまたま甘やかしてあげたい恋人がいないせいだ。これはただの暇つぶし。

なんだかよくわからない言い訳じみた自問自答をくりかえしていると、いつの間にか飲み会はお開きになった。
いつもここで駅に帰る組とバスに乗る組、徒歩組に分かれる。遅くなるとここにタクシー組が入れ替わるが今日はそれほど遅くならなかった。
おれはこのうちの徒歩組に入るのだが、今日は徒歩で帰る人が四人しかいなかった。
ザ・体育会系の田中先輩と事務三姉妹の中堅である戸部さん、おれ、そしてあいつ。田中先輩と戸部さんの家は近い。少し離れておれとあいつの家がある。
必然的にこの二組に分かれてしまった。おれはあいつを送っていかなければいけないらしい。

同僚たちと分かれてふたりになると、おれはあからさまにため息をついた。そっから黙って夜道を行く。あいつが後ろをついてくる。
互いに会話なんてなかった。きまずい。でも、気まずいと思ってるなんて思われたくなかった。なんか負けた気がする。
おれは大きな交差点で赤信号に引っかかったとき、思い出したように言った。
「おれ、今日はこっちだから」。そう言って信号を避けて右に曲がる。おれの家もあいつの家もこの信号をまっすぐだ。それはあいつも知っている。
だから、きっとあえておれがあいつと一緒の時間を避けたことだって気づいてる。あいつはなにも言わなかった。



観察そのさん

今日は新しい企画の打ち合わせ。まだ仮の準備段階だから進めるメンバーも少ない。というか、おれとあいつだけ。
うちの会社では最初の二年間、先輩と組んで仕事をする。その後はアトランダムに組んだり、単独で仕事を進めるのだが、四年目のおれは誰かと組むとなると、なぜかいつも最初にあいつとだった。
上が勝手に決めてくることなので文句たらたらだったが、あいつとおれが組むと仕事が進むのも事実だった。おれのストレスが仕事に影響しないことが憎たらしい。

小さな会議室で企画書を具体的なものにすべく話し合う。無駄口はいっさいなし。おれたちの間には機械的な意見しか飛び交わない。
そんなとき、おれはふとまた意地の悪い心が動いた。「昨日さ、田所さんに告られた」。
田所さんとは受付の女性で、社内でも一二を争う美女だった。田所さんに告白されたのは本当だ。
昨日、帰りに引き止められて付き合ってほしいと言われた。何度か他の人間も交えて食事に行っただけだったから少し驚いた。

あいつはノートパソコンを叩いていた指を一瞬だけ止める。が、またすぐにタイピングの音が続く。
「だから?」。冷たい声が問うてくる。仕事以外の話をするなととがめるように。うそだ、本当はそんな理由で聞きたくないんじゃないくせに。
「どうすりゃいいかな?」。意地悪くそう問えば、「関係ないから知らない」と言われる。そりゃそうだ、お前には関係ない。
おれが満足げに頷けば、あいつはちらりとこちらを見て、また液晶画面に目を戻す。

それから三十分ほど、何事もなかったかのように仕事は進んだ。でも、今日のあいつはタイピングミスが多かった。
とりあえず、企画の仕事はこの辺にして個人の用に戻ろうというころ、あいつはバカみたいにでかいため息をついた。
自分でやっておいておどろいたのか、ごまかすように咳払いをする。ごまかすのがへたくそだ。
おれは慌てて資料をまとめているあいつをぼんやりと観察する。あいつはこのままやりすごすつもりなのだろうか。
おれが田所さんと付き合ったらどうするつもりなんだろうか。そう考えてたら、なんだかもやもやしてきた。
この会議室を出たら、もう手遅れな気がした。なにが遅いかなんてわからなかったけど。

おれは言った。「おれのこと好きなのに、いいの?」。文脈からして意味がわからないがあいつには伝わるはずだ。
おれのことが好きなあいつには伝わるはずだ。
あいつは呆然と固まったままおれを見た。そんなにまっすぐおれを見てきたのは初めてなんじゃないだろうか。
が、すぐにあいつの目はいつものにらみに変わる。「馬鹿にしないで」。震える声がそう言ってあいつは部屋を出ていった。

あいつはきっと気づいてた。おれがあいつの気持ちを知ってて、からかっていたこと。
でも予想はしてなかったんだ、おれがあいつの気持ちを暴露するなんて。あいつは今どんな気持ちでいるんだろう。
あいつは一度だって、おれに期待したことがあったんだろうか。あんなにわかりやすいあいつが、今は少しわかりづらかった。
さて、田所さんにはなんて断ろうか。



観察そのよん

その日、たまたま資料室であいつに出くわした。これは本当にたまたまだった。
薄暗い資料室に入って目当ての資料を探して奥へ進むと、大量のファイルと格闘しているあいつに出くわし、一瞬ひるんだ。
ふたりして固まる。おれが目線をそらすと、あいつも黙って作業に戻った。

おれが受付の田所さんを振ったことは瞬く間に社内に広がった。多くの同僚が惜しいことをしたと野次るなか、あいつはいっさい目を合わせなくなった。
仕事がかぶっている以上、同じ空間にいるのはしかたないが今まで以上に居心地が悪い。

今日はあいつとの仕事がなくてほっと息をつけると思っていた矢先、偶然にも資料室で出くわしてしまうとは運がない。
しかも、おれの探している資料はなかなか見つからず、あいつの資料整理も当分終わりそうになかった。
本当なら資料探しを後回しにしてここを抜け出したいところだが、あの資料がないと進まないのだからしかたない。いつもの沈黙が今日は一段と重かった。

ここで資料のファイルが落ちてくるとか、誰かが突然入ってくるとか、あいつがふらついて倒れてくるとか、そんなハプニングは一切なかった。
そうこうしているうちに、なんとかおれの探しているファイルが見つかる。黙って出ていくべきなんだろうが、どうもそのタイミングさえ計れない。
何度かファイルを開いては閉じ、開いては閉じてみる。面倒になったおれは適当に口を開いて、あとは運に任せてみようなんてちょっとやけくそな気持ちになった。

が、目をやった先であいつはファイルを手に、―――泣いていた。

「え」と驚くおれに、あいつは静かに泣き続けた。泣き顔なんて当然初めて見た。少しだけ眉を寄せて、こらえるように涙を流す姿。
おれはあいつにも限界が来ていたことを知った。そして、おれにも。

気づいたら、辺りにファイルが散乱するのもかまわず、あいつの唇に夢中でキスしてるおれがいた。
流れる涙は何度拭ったって止まらなくて、涙が止まるまでキスしなきゃいけない気がした。
ようやくあいつの涙が止まって、互いに至近距離で見つめあう。ふいと目を逸らされる。
あいつが小さい声で「長い」って文句を言う。その長いがキスのことなのか、これまでのことなのかわからなかったけど、「ごめん」って謝った。
そしたら、あいつ、赤い目でちらりとこちらを見て「だれのせい?」って訊くから「おれ?」って疑問で返したらみぞおちに一発食らった。
力は弱いくせに無駄に急所へ入ったから地味に痛い。「馬鹿」って言ってまた泣きそうになるから、おれはまたキスをした。
唇を離して「ごめん。でも好きでしょ?」って言ったら、またみぞおちを殴られた。

口元をゆがませて「馬鹿」って言っても効果ない。あとから知ることだけど、あいつの「馬鹿」は許しの証。
だから、そのことばを紡ぐ唇に許可を得ておれはまたキスをする。



観察その【後】

なんとなく、同僚の平沢だけにはあいつとの経緯を話してやった。
そしたら、平沢は「ああ、やっぱり。お前って好きな子、いじめたいタイプだもんな」なんて知ったふうに言う。
からかうでもなく、納得したように頷くのが気に食わない。「あいつには言うなよ」って釘を刺したら「悪い、もう言っちゃった」なんて言いやがる。
なんて奴だ、裏切り者だ。おれは「馬鹿」って叫んで喫茶室を出た。この馬鹿は許さない方の馬鹿だ。

最近、就業時間になるとそわそわする。残業がない日なんて、特に。あいつはなに食わぬ顔でさっさと帰ろうとする。
おれはいろんなところからかかる食事の誘いを断って、あいつの後ろを追いかける。でも、どんなに手間取ってもいつも追いつく。
だいたい、会社を出て三百メートルほど行った、曲がり角であいつは待ってる。

腕を組んで「遅い」って怒るから、「なんで待ってんの?」って聞き返すと相手はたいてい口ごもる。
眉間にしわが寄ってちょっと泣きそうになる。そうなったら、おれはもう満足で「どっか食べに行く? おれん家、来る?」って訊いてやる。
あいつは目線をそらして「家、行ってあげてもいい」なんて言う。
口の端がちょっと震えてる。うれしそう。つい衝動的に道ばたで身を屈めてキスをする。唇を離してすぐに右へ避ける。
そうすれば、みぞおちに拳を受けずにすむ。これもこいつの照れ隠し。

おれがわざと眉を寄せて「可愛くない」ってつぶやけば、あいつは「可愛くなくて結構」なんて声を上げてさっさと道の先を行く。
だから、おれは後ろからあいつの耳元でささやくんだ。「うそ。かわいいよ」。
血色の良い耳が今日もツンデレなあいつの気持ちを伝えてくれる。あいつは小さく「馬鹿」って言った。



( 了 )




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