なきみ @



本日、最後の授業のため大教室へ入ると、やけに黄色い声が飛んでいた。
階段状になった席の上の方に、友人と二人で腰を下ろす。

なにやら、きゃっきゃっとした女生徒たちの声は下段の方から聞こえる。

「はあ……」

もう目を向けなくても、その正体はわかっている。
この時間の授業には『アイツ』も出席していることを、おれは知っているから。

「あ、京子、髪切った?」

五人ほど寄り集まった女子のうち一人が、茶髪の子を指さして言う。
指摘された女の子は、少し恥ずかしそうに肩口で切られた毛先をいじった。

「あ〜、うん。でも、失敗しちゃった。斜めに切ってもらったら変になっちゃったもん」
「それ、わかるぅ。難しい髪型だよねぇ」

他の女生徒たちは同情まじりの同意を口々に話す。
髪を切ったという茶髪の子は、確かにちょっと斬新な切り口になっていた。

だが、そこへ無駄に通りの良い声が反対意見を割り込ませる。

「どうして? 似合ってると思うけど。京子の雰囲気に合ってる。うん、可愛いよ」

そいつは少し低めの声で甘くささやき、女の子の髪を一房、手にとってはするりと撫でる。
細めた目で見つめられた女生徒は顔を真っ赤させる。

「あ、あ、うん。ソラちゃんが言うなら、うん、しばらくこのままでいよう、かな」
「うん。いいんじゃない? やっぱり女の子はかわいいね」

とどめの爽やかな頬笑みで、周囲の女子は赤面しながら黄色い歓声を上げた。

あ〜あ、またやってやがる。

「お、また『アネゴ』が女子、口説いてる」
「あ〜、そうな〜」

ソラの手癖を見つけたのはおれだけではなく、友人の友樹はなんだか楽しそうにそれを報告する。
くそ、いちいち言わんでいいわ。いやでも目につくっての。

気のない返事と、どこかイライラしながら鞄から教材を出すおれに、友樹は不思議そうに首を傾げる。

なんでこんなに苛ついてるかって? んなの決まってんだろ。
自分の『彼女』が他の奴といちゃこらしてたら誰だって苛つくっつの。

たとえ、それが女同士でも!

「問題なのは、アイツが女として見られてねぇことだ」
「え? なに、アネゴの話?」
「なんでもねぇよ。人の独り言にまで突っ込むな」
「んだよ。機嫌わりぃな」

おれのやつ当たりに拗ねていたのも一瞬。
友樹は最近、仲良くなったという女子とメールを始めて、すっかりおれのことは記憶のかなたに追いやった。

その方がおれにとっては好都合だ。
おれは机に肘をついて、下段に座る『彼女』の後ろ姿を見つめた。

宮口ソラ。
おれ、野島龍志の恋人である。

やたらと男前なソラには悪い癖があって、なにかにつけてすぐ女を口説く。
いや、本人にその気はないのだろうが、男より男前なソラの言動はまわりの女たちを虜にして止まない。

一応、確認のために言っておくが、―――ソラは女だ。

おれに男と付き合う嗜好はないので当たり前なんだが、確認をしておかなければいけないほど、ソラは男らしい。

だが、成り行きとはいえ、こうしておれと恋人同士になった以上、いくら女同士でもああもあからさまにピンク色を振りまかれていい気のする訳がない。
おれはここ数日、ソラの悪癖にイライラしっぱなしだ。

「くそっ、夜はあんなに『女』のくせに」
「あ、なに? エロイ話?」

スマートフォンの液晶から顔を上げた友樹がにやにやと聞いてくる。
その顔に舌打ちして小声で怒鳴り散らす。

「うっせ! お前は見込みない女とでもメールしてろ!」
「ひっでぇ! 今回は絶対、いけっからな! 絶対、当たりだっての!」

ぎゃーすかと二人で言い合っていると、下の席に座るソラがこちらを見上げていることに気が付いた。
急にバツが悪くなったおれは押し黙る。

ソラは固まったおれを見ると、ふっと笑って口パクでなにか言う。

『カ・ワ・イ・イ』

「アイツ! 馬鹿にしてんのかっ」

よりにもよって女子に向けたことばと同じもんチョイスしやがって。

顔面の筋肉がひきつる。
それを見て、女子には見せないにやりとした悪い顔で笑み、ソラは前に向き直った。

わかっちゃいることだが、ソラに勝てないことがなによりも悔しい。
だって、こいつ、余裕ある上にかっこいいんだもんな!

「うお〜い、誰だ? 教室に出張ホスト、呼んだ奴は?」

ふいに後方から聞こえてきたのは、寝ぼけた男の声。
おれと友樹が目を向けると、案の定、そこには白衣姿の中年男性が立っていた。

この授業の受け持ち講師である、坂野講師は薄いファイルで肩を叩き、おれたちの後ろで問うてくる。
フレンドリーとはいわないが、ゆるい態度は生徒に親しみを持たせ、気軽に話しかけてくることも多々ある先生だ。

その坂野先生が『出張ホスト』と訊いてきた。
友樹も隣で同じ人物を連想したらしい。

「ああ、アネゴのことっすか?」
「あれはいつものことなんで放っておいてください。もう病気なんです」

おれがうらみがましく呟けば、坂野先生は首を傾げる。

「いんや、そっちじゃなくて……あっちの」
「え?」

先生のファイルが示す方を見て、目に入った人物は大学には似ても似つかない姿で座っていた。
黒のスーツに赤いシャツを着た、金髪の美形男性。年の頃は二十代前半で、肘をついた手首には高級時計がきらりと光る。

「なんだ、あれ。ほ、ホスト?」

誰がどう見たってホストっぽい青年は、教室の上段の端に座り、下の方を見下ろし微笑んでいる。
おれはその目線の先にあるものに気付き、「げっ」と顔を歪ませた。

あいつ、ソラのこと見て笑ってる?

当のソラは女子との楽しいおしゃべりに忙しく、まったく視線に気付いていない。
心配になったおれが立ち上がろうとするが、壇上に講師がたどりつき教室は授業態勢に入った。

「ちっ」

しかたなく腰を下ろし、それから十五分ほどのどかな授業が続く。
だが、おれの耳には講師の話などまったく聞こえていなかった。

あの金髪ホスト、マジでソラのことばっか見てるぞ。

「龍志、貧乏ゆすりうぜぇ」
「うっせ、馬鹿!」
「なんで、急に馬鹿扱い?」

馬鹿な友樹が泣きそうになってんのを無視して、上段の端に座るホストをにらみつける。
なんかあやしい。絶対、あやしいぞ、あいつ。

おれの予感は的中した。

金髪ホストはふいに立ち上がると、授業中なのもかまわず静かな足取りで階段を下りていく。
そして、何気なくソラの隣に座ると、机の上に置いた彼女の手をそっと握る。

「なっ!」

ガタリと音を立てるおれ。
隣に気付いたソラは少し驚いた後、相手を確認すると、―――ふわりと笑った。

そんな女らしい笑顔なんて見たことないぞ! なんでちょっと親しげなんだよ! っていうか、離れろ! 今すぐ!

おれの無言の抗議など聞こえるはずもなく、金髪ホストはソラの耳元でなにかをしゃべる。
それに対してソラはくすくすと楽しげに笑うのだ。

ふつふつと湧き上がる怒りと焦りがおれを混乱させる。
おいおいおい、お前が口説くのは女だけだろ! いや、むしろ口説かれてるけど!

「そうだ、メール!」

今すぐに下りて行ってソラの手を掴み連れ出したのは山々だが、それだと後で真面目なソラに殴られかねん。
せめてもの抗議と、おれは急いでソラにメールを打った。

『そいつ誰?』

もっと言いたいことはあるが、焦ってるのがばれるのは格好が悪い。
メールを送信すると、すぐにソラは携帯を取り出し画面を見て、ちらりとこちらを振り返る。

おれは平静を装って、その目を見返す。
ソラは少し悩むような動作をして、なにやら金髪ホストに耳打ちした。

だから、近いって!

しばらくして返ってきたメールを開き、おれは愕然とした。

『元カレ』

「はあ!?」
「どーしたー? うるさいぞー」
「す、すいません」

講師に指摘されて周囲から忍び笑いが聞こえる。
だが、思わず大声を出したおれの気持ちもわかってほしい。

元カレだって? あの、『例』の元彼氏さん?

おれはソラと付き合うきっかけになった、彼女の元カレを思い出した。
ソラの元カレは言っちゃあなんだが、セックスが下手らしかった。
不感症なんてとんでもないくらい感度の良いソラが、まったく感じられなかったくらい下手くそ。

おれとセックスを試すために、ソラが電話口でバッサリ別れを告げたのは記憶に新しい。

当時は相手に同情すらしたものだが、その相手があんな金髪美形ホストだなんて聞いてないぞ。
明らかに女慣れしてそうな雰囲気とその動作。とてもセックスが下手な男には見えない。

でも、意外とってことか? 顔だけが取り柄とか?

それからの授業は、果てしなく長く感じられた。
早く終わってソラを問い詰めたいのをぐっと我慢していたのだから、おれも相当、男らしくなったもんだ。





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