前なきみ @



おれの恋人には、二週間に一回ほどの割合で『そういう日』が来る。

「あ、の……龍志(リュウシ)」
「うん?」

自宅のソファーで横になり、雑誌をめくっていたおれはその声に顔を上げた。
見れば、風呂場から出てきたソラはバスタオル一枚という、まあなんともセクシーな格好だった。あ、ここ、笑うとこな。

風呂上がりのソラは上気した桃色の頬に、濡れた髪から落ちる水滴を滑らし、もじもじとドアの近くに立っている。

うわ、またエロイ誘い方できたな。
心中ではかなり動揺しているおれは、それを悟らせない程度に驚いてみせる。

「どうした、ソラ? そんな格好で出てきたら風邪引くぞ」
「えっと、その、さ……」
「ああ、髪も濡れたままだし。ほら、こっち来いよ。髪拭いてやるから」

おれは衣装箪笥から短めのタオルを取って来て、ソファーへソラをいざなう。
ソラはちょっと戸惑った後、おれの膝の間にちょこんと腰を下ろした。その様子がほんの少し嬉しそうだったのをおれは見逃さない。

ソラの短い髪を拭いてやりながら目線を落とす。
日に焼けた彼女のうなじが目の前にあって、吸いつきたくなるのをぐっと我慢。

今日はがっつかないぞ、今日は。

「よし、だいたいこんなもんかな。ってか、早く服着ろ。夏の風邪も結構あなどれん」
「あ、あの!」
「うん?」

彼女の服を取りに行こうと立ち上がる俺を、ソラの手が引きとめる。
いや、まったく服なんか取りに行く気はないんだけどね。

わざとらしく振り返る。不思議そうに見下ろしてやると、ソラは胸元のバスタオルをぎゅっと握り、泣きそうなくらい必死な顔で見上げてきた。

「りゅ、龍志」
「なに、ソラ?」
「…………えっち、しよ?」

あ〜、わざとじゃないってわかってても、それは反則。
ごめん、うそです。可愛いマジ可愛い。もういい? 襲っていいですか?

「ソラ、えっちしたいの?」
「えっと、うん」
「ふぅん。じゃあ―――ベッド、行く?」

耳元にて超低音ボイスでささやいてやれば、ソラは顔を真っ赤にしてこくんと頷いた。

二週間に一度の割合でやってくる彼女の周期。
まあ、いわゆる『発情期』っていうか、やりたくなるらしい。

そういう日の彼女はとにかくすごいから、楽しみでありつつもおれはいつもたじたじだ。


●●●



さて、これだけ可愛い可愛いと言っておいてなんだが、ソラは普段、ものすごく―――可愛くない。

っていうか、怖い。いや、かっこいい?

女としての欠片も存在しないくらい男勝りで、おれなんかよりずっとカッコいいのである。
女性からアプローチを受けたことは少なくなく、男性からは『アネゴ』と慕われる。

かくいうおれも、付き合う前はこいつとは単に『気の合う男友達』だった。

大学で出会った頃は、胸のでかさがなかったら男と間違えそうになったくらい、ソラは女ではなかった。まあ、それは今もだけど。
毎日、頭の良いソラに怒られながら課題をやって、馬鹿にみたいにふざけて笑いあった。

だからある日、突然、こんな相談をされた時は心底びっくりしたもんだ。

「なんかさ、彼氏に『お前、不感症なんじゃねぇの』って言われたんだけど」
「は?」

その頃には二人で飲み会をすることは珍しくもなく、場所はもっぱら一人暮らしのおれの家だった。
あらかた飲んで食べて、オールナイト用のゲームを始めた時、急にソラが言い放った。

「……は?」
「いや、『はあ?』じゃなくて。不感症、ひどくね?」

おれが驚き固まったのは、『不感症』どうこうではなく、男勝りのソラに『男』がいたことだった。
男より男らしいソラに男。もうなにがなんだか分からなくなってきたぞ。

今までこんな風に一緒に飲んでいても、恋人の影など少しもみせなかった彼女に―――彼氏?

「え、なに、その冗談」
「でしょ? 冗談にもほどがあるよ。こっちは突っ込ませてやってるってのに、不感症? はあ?」

この際、ソラの口が悪いのは置いておく。
おれはひどく動揺していた。いや、この時点で彼女が好きとかはまったくない。

ただ、初めてできた『異性の親友』におれの知らない事実があったことに驚いたのだ。

「お前、男イケたの?」
「はあ? なんだ、それ。あたし、女の子と付き合ったことあったっけ?」
「……ない、けど。おれはてっきり、そっちの方が性に合ってんのかと」
「ああ、そりゃ女の子は可愛いよ。向こうから抱きついて来てくれんなら儲けもんだし、癒しじゃん? きみら男と違って、あたしの場合はセクハラにならないし」

でも、彼女たちは観賞用でしょ?

そう言ったこいつの顔がやたらと男前で、ソラが男なら間違いなくプレイボーイになっていただろうと思った。
そんなソラがどんな顔で男と付き合ってるというのか。

だめだ、まったく想像できない。

「その、『身うちの情事、見ちゃった』みたいな顔やめてくれる。殴りたくなるから」
「スミマセン。でも、だって、お前……そういうことも、やらせてんだ」
「『そういうこと』? ああ、セックス? そりゃ付き合ってんだからヤッちゃわない?」
「あ〜、お前ホントに男前」

けろりと言ってしまうソラに、おれは額に手をついた。

おれの記憶の中から『ソラに抱かれたい』女性たちの顔が浮かんでくる。
彼女たちが聞いたら卒倒するようなセリフを、またカッコよく言い放つのだ。

だが、それまでスパスパ話していたソラが、ここにきて声のトーンを落とした。

「でも、正直、気持ちよくない」
「え」
「なあ、セックスって気持ちいい?」
「そ、そりゃあ気持ちいいんじゃないですかね。男は」

そう言うと、ソラはおれのことばにムッと顔をしかめた。
あ、『男は』気持ちいいって、女のソラに言っても意味ないよな。

真面目な話、おれは今初めて、ソラが女なのだと自覚した。

「その、ソラはやっても気持ちよくなくて、えっと……か、彼氏さんは『不感症なんじゃねぇの』って?」
「うん、そう。どうすればいいと思う? 病院とか行った方がいいの?」

う〜ん、なんか相当、深刻に悩んでいらっしゃるようだ。
これ、適当なこと言ったら、ボコボコにされんじゃねぇ? 明日のおれの生命がかかってる?

おれは後頭部を掻いて、少し考えてから口を開いた。

「それって、彼氏…………下手なんじゃね?」
「へ」

嫌な沈黙が流れる。
あ〜、やばい。終わったな、おれ。明日のおれよ、さようなら。

しかし、返ってきたソラの声はやけにあっさりしたものだった。

「そっか。下手、なのか。そっか、うん、そうかも。あたし、あいつが初めてだったからわかんなかった」
「え、初め……あ、そうなんだ。いや、でも、もしかしたらだからな。本当のところはおれにもわからんし」

ソラは腕を組んで、妙に納得してしまった。
どうしよう。おれ、今、罪悪感でいっぱいだよ。見たこともない、ソラの彼氏を『下手な男』扱いしちゃったし。
ごめんな、まだ見ぬソラの彼氏さんとやらよ。

そんな風に考えながら、ふと思う。
じゃあ、ソラって本当に気持ちいいセックス、知らないんだなって。

なんでもできてしまうソラ。誰よりも博識で頭の良いソラ。男前なソラ。
おれの知ってるソラはだいたい、そんな感じ。

でも、その彼女にも知らないことがある。

おれは好奇心をそそられた。

「な、なあ。じゃあさ、確かめてみねぇ? 彼氏が下手なのか、お前が不感症なのか」
「ん? どうやって?」
「―――おれと寝てみねぇ?」

いつだったか、ソラはおれの好奇心を褒めたことがあった。

『きみの好奇心の強さだけは褒められるね。その好奇心と本気が重なったら、きっと龍志、いい男になるよ』

だけど、今回の好奇心だけはどうやっても褒められたもんじゃない。
事実、固唾を飲んで見つめるおれに、ソラは目をしばたかせて唖然としていた。

「え〜っと、本気?」
「わりと」
「あたしなんかと寝てもおもしろくないかも」
「それを確かめるためにするんだろ?」
「引き下がらないね」
「下がれねぇだろ、ここまで言って」

そんな押し問答があった後、ソラは腕を組んで上を見上げてはうなった。

「う〜ん…………わかった。ちょっと待って。二分、待って」
「え、二分?」

二分ってなに? と、おれが思っている間に、ソラはおもむろに携帯電話を取りだした。
軽く操作をして電話をかけ始める。

いったい、誰に?

まさか、おれ、今からソラの仲間から集団リンチ、喰らうんじゃないだろうか。
寒気が笑えないのは、ソラならあり得てしまうからだ。彼女の親衛隊は幼稚園から続くと聞く。

電話口に相手が出たのか、ソラは軽快に話しはじめた。

「ああ、もしもし? 寝てた? うん、ちょっと話があって。ああ、すぐ済むから。そう。…………でさ、別れてくんない?」
「は!?」

驚きの声を上げたのは、おれだった。
向こうでも同じ反応があったのか、ソラは耳が痛いと言わんばかりに顔をしかめる。

待て待て、お前、今、誰に電話かけてんの?

「え、理由? あ〜、それまた今度でいい? うん、ちゃんと話すし。とりあえず、今日のところは別れてよ。……え? 大丈夫だって恨んだりしないから。あはは、きみならすぐ相手見つかるよ。んじゃ」

最後は笑って電話を切った。
残ったのは、おれの引き止め損ねた手。

なに今の、どうなった?

「あの、ソラ、さん?」
「はい、お待たせ。いいよ」
「っていうか、お前、今! わか、別れてって! 彼氏と!?」
「うん」
「『うん』って!」

うわあ、とおれは頭を抱えた。だって、今のってそういうことじゃん?
おれが『試してみよう』なんて言ったから、こいつのことだ、『浮気になるのは失礼だ』とか思って別れたんだ。
待て待て待て、浮気になるのは駄目だから、本命の方を捨てるか、普通?

「お前、どうすんの! 別れたりなんかして!」
「え? 大丈夫だよ。たぶん、わかってくれるし。それに放っておいても自然消滅してた。いい機会だから別れようと思っただけ」
「だからって、お前!」

おれの混乱はそれから三十分ほど続く。我ながらヘタレである。
そこはもう堂々と開き直って、『じゃあ、責任はおれが』ってところだろうが。
でも、おれは男前のソラさんではないので、そんなことはできなかった。

なにはともあれ、ソラとベッドの上で対面することになってしまった。




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