その瞳に映るモノ 第1話-B
― side スグル
夕焼けのオレンジとカーテンの淡いベージュとのコントラスト。2人分の熱が冷めきらない空き教室。
床に寝ころんだままの牧原芽(マキハラ メイ)と、窓辺でタバコをふかす俺・佐藤勝(サトウ スグル)。
先ほどまで情事に耽っていたという余韻を残すような、気だるい空気が充満している。
無理やりやった俺がいうのもなんだが、俺はそれほど鬼畜な男じゃない。
情事後、ちゃんと牧原の後始末もちゃっちゃっとこなし、衣類も整えてやった。
まぁ、半分服を着たままだったから、スカートのほうはべちょべちょになっちまったが。
そんなこともあろうと、用意周到な俺は持ってきていたジャージを寝ころんだままの牧原に投げる。
「それ、着て帰れよ。その制服じゃ帰るのは無理だろ?」
「どうして……どうして、こんなことしたんですか?」
「は? なに言ってんの?」
顔を背けたままの牧原。表情はうかがえない。
その声はいつもふんわかしている彼女からは、あまり想像できない冷静なものだった。
「言ったじゃん。お前のこと、俺のモノにするためだって」
「だったら、ちゃんと正面から向き合ったらどうですか? 強姦なんて卑怯なやり方して。さっきも言いましたけど、先輩ならまともな方法でも、きっと好きになりますよ。―――メイだって、きっと」
「だから、なに言ってんの? お前」
意味もなく同じ言葉を繰り返す。牧原はゆっくりと重い身体を持ち上げ、床に座り俺が投げたジャージを眺める。
なにか唐突に、どうしようもなく嫌な予感がした。手元のタバコから、灰がほろりと外の砂地に舞い落ちる。
ふいに目に入ったのは、床に落ちた定期入れ。きっとさっきの騒動で牧原から落ちたのだろう、それを窓辺から下りて拾う。
瞬間、世界が逆転した。
「私、牧原芽じゃないです。佐藤先輩」
泣きはらして赤くなった瞳がこちらを向く。その顔は正真正銘、俺がいつも見ていた牧原芽のモノで。
でも、違う? どこが? そんなはずは……俺が、間違えるはずは、ない。
手元に残った定期入れには、写真付きの学生証。
『大川高校一年 牧原咲(マキハラ サキ)』
目の前の彼女と一致する写真。頭に響く、うるさいほどの鐘の音。
「私、牧原芽の……双子の姉の、牧原咲です。ごめんなさい」
謝りながら寂しそうに笑う彼女に、俺は声が出なかった。
言われてみれば、その通り。行為後の彼女はいつも見ていた牧原芽とは、どうか違う。
行為の後、牧原芽なら泣きだすと思っていた。どうして? どうして? って。
でも、目の前の彼女は違う。無理やり襲ったのは俺のほうなのに、謝る。ごめんなさいって。
「ほとんどの人が知らないんです。牧原芽に双子の姉がいるだなんて。同じ学校にいても、この学校に存在しているのは牧原芽だけですから。だから、ごめんなさい。紛らわしいですよね。メイじゃなくて、ごめんなさい。佐藤先輩」
「……うそ、だろ? そんな……」
「でも、今回のことはこれで良かったです。先輩には悪いですけど、純粋なメイにこんな体験させたくない。……メイを泣かせることは、私が許しません。私が代わりになってメイが笑ってられるなら、どんな犠牲になってもいい」
俺が抱いたのは、俺が手に入れたのは、牧原芽ではなく……姉の牧原咲?
赤くなった目が俺をにらむ。初めて見せた彼女の怒り。
でもそれは、『無理やり抱かれた』からではなく、『妹を泣かせたときの忠告』だ。
何なんだ、こいつ。まったく自分のことをかえりみない考え方。世界は妹で回ってるみたいな考えをしてやがる。
「佐藤先輩、お願いです。今回のこと、メイには言わないでください。絶対に余計な心配するでしょうから。あと、先輩がメイに落とすかどうかについてはなにも言いません。勝手にしてください。それを決めるのはメイです。でも、一応言っておきますけど……メイ、頭山智(トウヤマ サトシ)と付き合ってますよ。言いたいことはそれだけです」
「おい、待てよ。どこ行くんだ?」
無表情のまま、渡されたジャージをすばやく着込み、最初と同じように教室のドアへ向かう牧原咲。
引きとめれば振り返り、向けられるのはさげすむような冷やかな瞳。
この時、俺の中に新たな感情がわき上がってきたことは認めよう。
しかし、それは牧原芽に感じた『欲しい』という感情ではなく、ただ単純に、本当に単純に……。
どうして、こいつはここまで自分を見ていないのだろうという―――好奇心。
「帰るんです。これ以上、ここに用はありません。ジャージは後日、お返しします。ドアのカギ、渡してもらえますか?」
「なんでお前、そんななの?」
「……は?」
「なんで、そんなにも自分のこと痛めつけるんだ。自分なんてどうでも良いって、目ぇしてる」
「……だから、なんですか。必要とされない存在を気遣ってどうするんです? そんな気遣いは、みんなから必要とされる人を守ることに使うべきです」
こんな考え方のやつ、初めてだった。特に俺なんか昔から周囲に褒められて育ったから、無駄に自分に自信があった。
類は友を呼ぶってやつで、年を重ねるごとにできるダチも、みんな自分に自信があってモテるやつばっか。
ここまで自分に無関心で、そんな自分よりも妹の方こそを大事にしてるやつなんて……。
変なやつ。
「じゃあ、その必要とされる人間を守るためなら、なんでもするよな? お前は」
「なにが言いたいんですか?」
「コレ、なぁんだ?」
「え? ―――ッ!」
ポケットから取り出した携帯の画面を彼女に見せる。息を詰める彼女。
液晶画面には、情事のあとの乱れた彼女が、まざまざと映し出されていた。
言っただろ? そう簡単には、逃がさないぜ、牧原。
いや、牧原咲。
「……それ、は……」
「さっきお前が気絶してる間に撮ったんだ。まさか、無償で後始末してもらったなんて思ってねぇよな?」
「なにが目的ですか? ……メイ、ですか?」
唇を噛みしめて、拳を痛いほど握り締める。自分のことはどうでも良いのに、妹のことになると冷静さがなくなる。
妹と姉を間違えたのは痛いが、それほど悪い結果じゃないと思えてきた。
これはこれで使える。牧原咲の言うとおり、牧原芽が誰と付き合っていようと俺は素で落とせる自信もある。
だから、これは契約。
「お前、俺の言うこと聞くって言ったよな? これから、しばらく……いや、俺が牧原芽を落とすまで、お前が妹の代わりになれ。言うこと聞かないって言うなら、この写真バラ捲くぞ」
「そんな写真、バラ捲かれたってどうってことないです。どうせ、私はこの場所に居て、居ない存在ですから」
「ふぅ〜ん。でもな、この写真見たやつらはどう思うだろうな? お前、自分で言っただろ? 自分は居て、居ない存在。でも、お前と牧原芽は瓜二つ。……これを見たやつらは、この写真を誰だと思う?」
「っ……そういうことですか」
俺は純粋に思った。
こいつが自分を見て、周りと接するようになったら、どんな風になるのか。
今まで惹かれていた牧原芽とは、まったくの正反対なのに。なぜかこいつの先が見たいと思った。
すべてに無関心に見える仮面の下に、本当はどんな思いを持ってる?
「そう、牧原芽が双子だと知らないやつらには、この写真に写ってるのは牧原芽だと思うよな?お前は良くても妹どうだ?今まで、みんなからチヤホヤされてきたのに、本当はこんな変態女。イメージぶち壊し。泣いちゃうかもな、彼女」
「私が先輩の言うことを聞けば、メイが泣くこともない、と?」
「そういうこと。すべてはお前次第。どうする? ―――オネエチャン?」
見せろよ、その心の奥に仕舞ってる本心。
「…………わか、りました。妹のためです」
「よろしく、牧原芽のオネエチャン」
予定外だったが、思わぬ掘り出し物を手に入れた。これで、本命の牧原芽へのつながりもできる。
牧原咲の存在は良い収穫だ。この頑固で自分をかえりみない性格、なによりあの感度の良い身体は、さっきので立証済みだ。
楽しくなりそうだぜ、牧原咲。