その瞳に映るモノ 第2話-A
― side サキ
ブルルル
食堂で昼食を食べ終わり、それぞれの教室に戻る廊下の途中、メイとサトシの背中を見ながら歩いているとスカートのポケットからの振動。
携帯電話が知らせるそれは、喜びの知らせか、それとも魔窟への呼び出しか。そんなのわかってる癖に。
妹たちに先に行っているように知らせ、2人の背中を見送った後、恐るおそる液晶画面を見る。
〈生徒会室、来い〉
たったそれだけの文字に、自分の存在意義の薄さを思わせるようで、目をぎゅっとつぶった。
その場に行けばなにがあるか、だれが待っているか、それを考えただけで背筋に汗が伝う。
木目の厚い重圧感のある生徒会室の扉。
校内では昼の授業がとっくに始まっており、私が立っている廊下ですれちがう人はいない。
天井に頭を向けて大きく一呼吸。ぐっと拳を握りしめて生徒会室のとびらを、ゆっくりと開いた。
生徒会室の中には、夏の終わりを感じる昼間の逆光が差しており、生徒会長席に座っている人物は背を向けていて、その顔は見えない。
接客用の長ソファがふたつ、小さい机がひとつ、生徒会長用のデスクが悠々と置かれている。
イスに座っている人物と、入口に突っ立っている私以外だれもいない。密室のようで息がつまった。
「遅いだろ、オネエチャン?」
くるりとイスが回転して、私を呼び出した張本人・佐藤勝(サトウスグル)が悪魔の笑みを浮かべてこちらを見た。
初めて抱かれてから3日目。その間、幾度となくメールで呼び出された。それは時間場所関係なく、気まぐれもいいところ。
そして、この人は私のことを決まって〈オネエチャン〉と呼んでみせる。
私自身を〈牧原メイの、妹の代わり〉となに度も戒められているようで、この呼び方は嫌だ。
「なにか用ですか?」
「なあ、それって口癖? なんか用がないと呼ばねぇし、なにが用件かくらいわかってるだろ?」
「……なにをすればいいんですか?」
「おいで、オネエチャン」
差し伸べられる悪魔の右手。向けられる優しい頬笑み。それは罠、それは仕掛け、それは毒。
今、目の前にある微笑みは、さっきまで妹に向けていたモノとは全然、質がちがう。こんなニセモノなら要らない。
自分だってニセモノの癖になにを言っているんだろう。自分の考えたことがバカらしくて、思わず笑みがこぼれた。
「なに笑ってんだ? なんか楽しいことでもあるのか?」
「ちがいますよ。私って、つくづくニセモノなんだなって、ちょっと思っただけです。あなただって同じですけどね。あなたみたいなニセモノじゃ、メイの隣には座れない。……サトシには勝てない」
「……」
たぐり寄せられるように引っ張られて、デスクに乗り上げる形になる。
間近に寄った先輩の整った顔が、私の言葉に対して眉間にシワを寄せる。
今時に作られた茶色い髪型に、ぎゅっと上がったキツイ眼尻、細い外見からは想像もできないほど力のある筋肉。
そこらの女はこんな外見だけを見て、この人に惹かれるのだろうか。どこがいいんだ、こんな男。
「言うなあ、お前。それなら、お前だって同じだろ? お前は頭山サトシの隣にはいられない。妹には、勝てない」
「そんなこと最初からわかっています。そんなのもっと小さい頃から決まってた。サトシは優しいけど、結局はメイしか見てない。私の入る隙なんて……あっ、んんぅ…んふ」
いきなりあごを捕えられて、唇を奪われる。この人とのキスはいつも驚くほど突然で苦しいほど逃がしてくれない。
薄っすらと目を開けてみると、唇以上に捕えられる錯覚を起こすような鋭い瞳。慌てて眼をギュッと閉じる。
止めて欲しい、こんなキス。まるで〈お前は俺のモノだ〉って言われているようで。……イヤだ、誤解してしまう。
「んん…んぅん……はっ、ふはっ……はあ、はあ、はあ」
「自分が入る隙がないって言うけど、それは今までの話だろ?」
「はあ……どういう、意味ですか?」
やっと解放されたキスにこっちは息が上がるというのに、まったくそんな様子も見せない彼が憎い。
平然としていて、まさに我が物顔。私の頬から首筋にかけて、右手を這わしながら悪魔は微笑む。
「これからは俺が牧原芽の隣に座る。なにがなんでも、お前がどれだけ無理だって言ってもブン捕ってやるさ。もちろん、頭山サトシからも。そうすれば、必然的に頭山の隣が空く。だから、それはお前にやる。すてきな話だろ、オネエチャン?」
「理想論ですね。そんなこと実際にあり得るはずがない。どれだけ頑張っても、あの2人は裂けない。先輩はまだわかってないんですよ。……それに、そんな方法で手に入れた場所に、幸せなんてない」
「どうかなあ。お前はきっと、そんな方法で手に入れた場所でもわりと落ち着くんじゃね? だって、今まで想像の中だけのことだったんだろ? それがまかりなりとも現実になる。嬉しいに決まってるさ。ニセモノのお前が、ホンモノを手に入れるんだから」
「……」
ギラリと光るような目線に、一瞬でもその話が現実になるような気がして、頭の中がグラリとした。
なんだろう。この人は今まで私の中にあった常識を、いとも簡単に粉々に砕いてしまう。
それがまた、妙に心地よくて、ずっと浸っていたくなる。やっぱり、この人は麻薬だ。
掴まれていた腕がさらに先輩のほうへと引っ張られ、イスに座っている彼の上にダイブする形になる。
軽く驚きの悲鳴を上げたにも関わらず、見上げたそこにいる人は薄く笑って私の顎を上げてくる。
今の体勢は私が先輩のひざを跨いで座っている状態で、妙に恥ずかしくなって目をそらしたくなってしまう。
「こら、こっち向けって。前も同じようなこと言ったけど、なんでお前ってそうネガティブなんだろうな。俺が今まで出会った中で一番、マイナス思考。つか、そこまで自分に自信がないのか?」
「……だ、だから、私は昔から自分っていうのがなかったから、自信とかどうとかいう問題もなかったんですよ。どうせ私なんか、だれも見向きもしてくれない。ぁっ、ふぅ……ん」
「ふぅん。でも、それって俺に対して失礼じゃないか?」
「どう、してですか?そんなの先輩には関係ないでしょう? ひゃ、あ……はぁ、んぅ」
ブラウスの上から胸を揉まれる。心とは正反対に与えられた快感に素直に応じていく自分の身体。
初めて抱かれた時だって、名前と顔を知っているくらいの男だったのに、嫌悪よりも快楽が勝っていたような気がする。
どうして好きでもない男に触られて抱かれて、どうして私はこんなふうに甘んじみて感じているんだろう。
きっとこんな私、メイも知らない、サトシだって……。
この男、佐藤先輩しか知らない秘密の顔。
「俺は、俺が認めた女しか抱かねえの。だれでもイイわけじゃない。俺って美食家だからさ。だから、俺が抱いてるお前を侮辱するのは、例えそれがお前自身であっても、お前を抱いてる俺に対して失礼だろ?」
「そんな、へ、屁理屈」
「なんでもいいけどさ、そろそろ……こっちに集中しね?」
「やっ! そこっ、あぁ、ん……せん、ぱ」
耳元でくすりと笑われるだけで、身体全体にぞくりとした感覚が駆け巡っていく。
次々と与えられる快楽と快感に、さっき言った先輩の言葉の意味を考えることも出来なくなっていた。
気づかぬうちに滑り込まされているスカートの中。軽く湿ってしまったそこをゆっくりと先輩の指がなであげる。
後ろに体を倒すと後頭部から落ちてしまう危険な状況。どうやっても先輩のワイシャツに捕まっていなければいけなくなる。
「こ、こんな体勢、やっ……ひゃっ、あんぅ……あ、あっ」
「そうか? わりと好きなんじゃねえの、こういうのも。お前、絶対Mっ気あるもんな。あ、もしかして蝋燭とか鞭とか好き系? 俺、そこまでサドじゃねえから、残念だけどご要望には応じてやれねえぜ?」
「ちがっ! ふあぁぁ…だめぇ……あ、あ、あ」
三本まで増やされた指を突きあげるように、その上ちゃんとポイントを突いてくる。
こんなふうにされれば、感じないわけない。まだ衣服だって着たままで、1人だけこんなにも乱れてるなんてなにか悔しい。
ぎゅっと唇を噛みしめたとき、先輩がふいに私の中から指を引き抜く。
突然のことに、え、と顔を上げれば、ニヤリと笑った彼の顔とぶつかって、しまったと思う。
「なに、その顔。〈なんで抜いちゃうの? 気持ち良かったのにぃ〉って顔だな。……図星?」
「そ、そんなこと! ちがいます!」
「どうだかな。お前、嘘つきだから。つーかさ、お前だけ気持ち良くなるのってなんか不公平だよな? 俺はお前にご奉仕してやってるわけじゃない。むしろ逆だろ? お前が俺にご奉仕してくれなきゃな、オネエチャン?」
「……なにが言いたいんですか?」
キッと睨みつける私に、偽善の柔らかい笑みを見せて、首を傾げながら私の右手を手にとって下の方へと導いていく。
一瞬にして、その柔らかい笑みは悪魔が悪事を働く前の、それはもうどんな顔よりも邪悪なモノなのだと気が付く。
でも、もう遅い。たどり着いたのは先輩の制服のズボンの上。じんわりと感じるその圧迫感と、温もりに眼をそらす。
その顔をさっきまで私の中で好き勝手していた指で、無理やり先輩のほうに向けられる。
私の頬にべっとりと塗りたくるようにしてくる液体が自分のモノだなんて、考えたくもなかった。
「しゃぶれよ、オネエチャン」
眼尻からあふれ出した雨粒が、私に強制する先輩の右手を濡らす。
この人はどうして、ここまで残酷になれるのだろうか。どうして、こんなにも人を苦しめることばかり。
生徒会長のイスが少し回って、机にぶつからないくらい広い方向に向き直る。
そこへ、なんのためらいもなく私を床に突き落として、頭を掴んで自分の下半身の前に連れてこさせる。
「こうやって苛められるの、好きなくせしてさ。まったく、驚きだよ。いつもは物静かで妹の影に隠れているオネエチャンが、生徒会室でおちゃぶりってな? AV作ったら売れるんじゃねえ?」
「も、やだ、こんなの。佐藤先輩……、ほんとに、もう」
「はあ? なに言ってんだよ、お前。それともなに? 写真、バラ捲かれてもいいの? 妹がみんなにどう思われても?」
どれだけ言われても、写真をバラ捲かれることがどういうことか、わかっているのに。
泣き崩れた身体は、どんなに頑張っても動くことはなかった。
「それ、は……。……どうして、どうして先輩はこんな酷いこと平気で出来るんですか? なんで」
「……チッ」
泣き崩れて動かなくなった私に、頭上から先輩の舌うちとため息が聞こえてくる。
あぁ、私って本当になにも出来ない女。普段のままじゃメイに勝てることがないのは当り前。
先輩の言うように身体を使うしかないのだろうか。
視界が滲むなか見上げれば、ひじ掛けに肘を置いて、手に顎を乗せた先輩が窓から外を見ている。
その姿には、さっきまでのイライラした感じがなくて、まるで見惚れるように窓の外を眺めている。
先輩の視線の先を追って窓の外を見れば、体育の授業をしている様子で。
……メイ?
メイのクラスは5時限目が外での体育。準備運動をしている笑顔のメイがそこにあった。
その時、なにかがこみ上げてきた。
メイは姿を見せるだけで、イライラしていた人を微笑ませてしまう。
「……スグル、先輩」
小さな声で自分でも気づかないうちに出ていた言葉は、今の先輩には聞こえていない。
勝手に身体が動いていた。自分がなにをしているのかも、あまり分かっていなかったと思う。
ただ、この時は目の前の佐藤スグル先輩が、外を見ているのがたまらなく、―――イヤだった。