その瞳に映るモノ 第4話-A
― side サキ
メイに誘われて来た遊園地。見上げた空は、この上なく青くて透き通っているけれど、私の心は晴れないままだった。
初めて乗った観覧車から降りて、お昼時ということで遊園地内のファーストフード店でお昼御飯を食べた。
いつもの町を出て久しぶりに海を見たりして、少しばかり昔のことを思い出したりしたせいで、私の心のなかは複雑に入り混じっていた。
「あたし、トイレ行ってくるね」
「んじゃあ、俺も一緒に行くよ」
メイと佐藤先輩がトイレに行ったので、私とサトシはベンチで待っていることにした。
良く考えれば、こんなふうにサトシと2人でいるのは、かなり久しぶりなんじゃないだろうか。
ベンチの隣に座ったサトシの優しそうな横顔を、瞳だけで横目見た。
「はは。メイってホント、いつになっても子供だよな。ま、それに振り回される俺も、俺だけどさ」
「それでも好きなんでしょ、メイのこと? それに最近のメイ、サトシの前だと女の顔するようになった」
あははっ、と笑ったサトシが私の言葉に、きょとんとした顔を向ける。
その顔は昔から、誰かに自分の知らない難しい言葉を言われた時の、子供びた表情。
そして、決まったこのあと、自分の知らないことに対してムッとした顔をする。
「メイが? どこがだよ? いつまでたっても、子供だぜ? この前なんて、中学生に間違えられてたし」
「とか言って、気づいてるでしょ? たまにメイが色っぽい顔するの」
「なっ! ……いや、あの……そ、それは……サキ!」
顔を真っ赤にして、あたふたするサトシが可笑しくて、また笑ってしまった。
今いったことは本当のこと。高校生になってから、可愛いだけじゃなくて、たまにだけど色っぽい女の顔をするようになった。
ずっと羨ましかったメイの可愛らしさ、誰もがモテはやして好きになってくれる愛らしさに、初めて女の顔を見たときは愕然とした。
あぁ、また私はメイに離されていくんだ。そう思って流れない涙を流したんだ。
「そういうサキだって、最近変わったじゃないか。ここ一週間あたり? なんか、色っぽいっていうか、切ない女の顔っていうか。うん、たまにビックリするくらい見惚れる時があるんだなぁ、まるで別人みたいに」
「……それ、本気?」
「え? あ〜、うん、わりと本気だけど?」
サトシは軽く言うけれど、私にとってその言葉は信じられないものだった。
一週間あたり? それって、佐藤先輩に関わるようになって? それは偶然なんだろうか?
たしかに佐藤先輩は、今までの私では考えられないようなことをやらせてしまう。
私だって言われたことが嫌なら断ればいいのに、断れない。
それは……、先輩が新しい私を創ってくれるような気がして―――。
「なぁ、サキ。俺さぁ、ずっと、その、サキに言っておきたかったことがあるんだけど」
「なに?」
「ん、ん〜、うん。……メイとの、ことなんだけど」
「……メイ?」
歯切れの悪い物言いで、頭をかきながら溜め息をつきながら言葉を詰める。
サトシがこんなふうに気まずい雰囲気を出すなんて、珍しい。それに、メイのこと?
「うん、そのさ。サキって、俺とメイが付き合ってること、……納得してない?」
「ぇ? サ、サトシ? なんで?」
「だってな。サキは、俺とメイが一緒にいる時、あんまり良い顔しないだろ?サキは優しいから、昔っからメイに自分の気持ちを気づかれないようにしてるけどさ、……俺は気づいてるよ。確かに俺はメイのことが好きだし、すごく大切にしてるけど、サキにだって無理してほしくない。サキにも幸せになって欲しい」
「……」
真剣な顔でそういうサトシに、心はますます複雑になっていく。
サトシは優しい。優しすぎるよ、本当に。だけど、今この優しさは―――。
この時、とっさに頭に浮かんできたのは、佐藤先輩がさっき言っていた言葉だった。
〈どっちを?〉
優しすぎるサトシは、こう言う。メイは好きで一番大切、でも私にも幸せであって欲しい。
世の中には、プラスとマイナスがある。どこかで幸せが生まれれば、どこかで誰かが辛い思いをする。
それはこの世界が出来た頃からの法則、決まり事、絶対に揺るがない事実。
「サキ、本当にゴメン! ずっと言いたかった、ずっと言わないといけないと思ってた」
「どうして謝るの?」
「俺さ、結局のところ、サキからメイのこと取っちまったわけだし。サキがずっとメイのこと大切にしていたのを知ってる。それは俺以上にも。なのにさ、幼馴染であっても横からサキが大切にしてたメイを俺が横取りしちまった。それでも、サキは俺たちが付き合うことになっても〈良かったね〉って笑ってさ。……見てらんなかった、あの時の笑ったサキの顔。すぐにわかったよ、俺がメイを取ったからだって。……ごめん」
なにも言い返すことが出来なかった。サトシと私の間で、こんなにも大きな誤解が生じていたなんて。
それに、今ここでどう言い訳をすればいいのかも、わからない。
私が辛い顔したのは、〈サトシにメイを取られた〉からではなく、〈メイにサトシを取られた〉からだと喚いたらいいの?
そんなことをして今更どうなるでもないだろう。それになんだか、その考えには自分で自分に違和感を感じた。
「でもな、サキ。俺、マジでメイのこと好きなんだ。絶対に幸せにする。サキがメイを大切にしているように……。いや、それ以上にメイのこと大切に、永遠に幸せにする! ……だから、これからは少しだけでも認めてくれないか、メイとのこと?」
「……どうして」
「え? サキ?」
どうしよう?どうすればいい?頭の中が一気に真っ白になっていく。
大事な試験のときだって、こんな状態になったことないのに。私はなんて答えるのが一番、ベスト?
そうだ。笑わなきゃ、いつもそうしてきたこと。笑顔で笑って、心配させないようなことを言わなきゃいけない。
「……やだなあ、サトシ。たまに真剣な顔したかと思ったら、言いたいことってそれ? ったく、変に緊張させるんだから。認めるもなにも、最初っから私は大賛成だって言ってるじゃない? あのマイペースなメイのこと、ぜんぶ面倒見切れるのはサトシしかいないって昔から思ってたもの」
「サキ、本当に?」
「ホント、ホント。だいたい、今言ったこと、肝心のメイには言ったの?」
「あ。まだ、言ってない」
「どうして、こんな重要なこと、本人よりも先に姉の私なんかに言うかな? ちゃんとメイに言わなきゃダメでしょ? あんな能天気に見えて、実は不安に思ってるかもしれないでしょうが。わかったらちゃんと、メイにもこのこと言うんだよ? あっ、私、喉乾いたから飲み物買ってくる」
出来るだけ不自然でない程度に、急いで立ち上がり顔を見られないようにその場から離れた。
最後のほうは自分でも無意識化で言葉を発していて、唇が勝手に動いてる感じだった。
とにかく、この場をうまくかわして1人になりたい。今はなにも考えたくない。
なんとか私の動揺は、サトシに気づかれることなく、ベンチから少し離れたメリーゴーランドの近くまで走ってこれた。
周囲を見渡して、ここから私たちが座っていたベンチが見えないことを確認して、安堵する。
同時に目じりのあたりが、じわりと熱くなり、その熱が身体中を包んでいく。
そして、乱れる呼吸をしながら、ぼんやりと思う。あぁ、私、泣きそうになっているのか・・。
「はあ……はあ…ッ、ふ…ぅ……」
「おい! なにしてんだ?」
「ッ……ぇ」
突然、聞こえた男の人の声にハッと振り返れば、そこには仁王立ちして眉を寄せた・・佐藤先輩?
どうして、先輩がいるのかという以前に、この泣きそうな私の顔を見られたことにショックで慌てて涙をぬぐった。
数日前に、先輩の前で泣き顔を見せているのだから、まったくもって今更な苦労なのだけれど。
佐藤先輩は怒ったような、呆れたような顔で、私に近づいてきて苦情をぶつけてくる。
「お前なぁ、勝手に1人でどっか行くなよな。メイちゃんが心配してたぞ?」
「……サトシに、飲み物を買いに行くって」
「あぁ、聞いた。良かったな、頭山と仲良く話してたじゃないか。お前がもっと頭山と仲良くしてくれると、こっちとしてもメイちゃんと近づきやすいってもんだ。でも、なんで急にあそこで離れるんだ?俺がこっちに来たせいで、また頭山とメイちゃんを2人にしただろうが。牧原って、あとちょっとっていうところで押しが弱い。ったく、さっさと戻るぞ」
それだけ言うと、さっさと背中を向けて、サトシとメイが待っているであろうベンチに戻ろうとする佐藤先輩。
小さい頃から見ていたサトシの優しい態度とは全く違う。
優しくもなくて、それどころか人のことをどん底へと引きずりおろしていく。
そんな酷い人だって、わかっているのに・・・なのに、心の奥で思っている。
この人だけには、捨てられたくない。
「おい、早く…………あ?」
「……ッ……せん、ぱ」
勝手に右手が動いていて、その動いた右手は佐藤先輩の上着の裾を掴んでいた。
とっさの行動に気まずくて顔をあげることが出来なかったけれど、きっと今の先輩は怪訝そうな顔をしてる。
イヤだった。今までの私がいつも1人になったとき、今の私には何故かこの人がいる。
酷いことを言われて、嫌われていることも、私を牧原サキとして見てくれていないこともわかってる。……それなのに。
「戻りたく、ない」
「……」
気まずい沈黙。口の中が渇くのがわかる。こんなこと言って、どうなるというんだろう。
この後、先輩は「意味わかんねぇこと言ってないで、さっさと戻るぞ」とか、「なに言ってんの?」とか言って、私の腕を振り払って先に行ってしまう。
ここまでわかっているのに、どうしてこんなこと言ってしまったんだろう。でも、もう戻れない。
せめて、どんなに酷い言われようでも、佐藤先輩の前で泣かないようにとギュッと唇を噛みしめた。
でも、返ってきた答えは、私の予想とは異なるものだった。
「……ぁ…すいま、せん。私」
「行くぞ」
「……ぇ」
沈黙が辛くて、いつもの癖で先に謝ってしまった。
なのに、先輩は私が服を掴んでいた右手の手首を乱暴に掴むと、その腕を引いて歩き始めてしまった。
しかも、その方向はメイとサトシがいる場所とは、まるっきし反対方向。
「ど、どこ行くんですか?」
「どこって、戻りたくないねぇんだろ?」
「っ」
正直に驚いた。だって、それってつまりは、メイとサトシのところには戻らない? さっきに場所には?
今、私の腕を引いている先輩が信じられない。戻らなくていいだけじゃなくて、一緒に来てくれる?
思わぬ展開に、また涙が出そうになる。だって、さっきまで我慢していたのは、辛い時の涙。
今流れそうになっているのは―――。
先輩に引っ張られ、おぼつかない足取りが早足になる。前を歩く佐藤先輩と私とでは歩幅が違うからだ。
遊園地の出入り口のゲートを出たところで、先輩がおもむろに携帯電話を取り出してどこかにかける。
「あー、メイちゃん? うん、今オネエチャンと一緒にいるんだけど、どうもオネエチャンの方が調子悪いみたいでさ。だから、俺達このまま帰るよ。うん、そう。大丈夫、大丈夫。……そっ、あとはメイちゃんたちで楽しんできて。こっちは大丈夫だから。じゃあね」
そう言ってメイへの電話を切った。その言葉があんまりにも、あっさりしていて聞いていたこっちが驚いた。
だって、佐藤先輩はメイと遊園地に来るのをあんなに楽しみにしてたのに。メイを奪うチャンスだって。
その楽しみを中途半端な状態で、しかもどうでもいい私を連れて帰るために、あっさりと笑って退場してしまったのだ。
「先輩。わ、私、本当に大丈夫ですから」
「もう、ゲート出ただろ。ちょっと黙ってろ」
「……」
状況を掴めていない私の腕を、少しだけ強めに掴みなおして黙らせる。
前を歩く先輩の背中をぼんやりと見つめる。今までしっかりと見たことがなかったけど、先輩の背中ってこんなに大きいんだ。
さっきから掴まれた腕も熱くって。でも、その熱が自分でもひどく心地の良いもので。
だから、スグル先輩。少しだけ、少しの間だけ、この手を離さないでくれますか?