そのに映るモノ 第5話-A




― side スグル


額のあたりをはしった、ビリッとした刺激に俺は眉をひそめた。


「いてっ! つぅ。しみるって、それ」
「しょうがないじゃないですか、消毒液なんですから。我慢してください」


心底呆れたような顔をした牧原は、テキパキと慣れた手つきで傷の手当てをしていく。
俺は天井にぶら下がった味気のない蛍光灯を見上げた。

なぜ、俺がいま、こんな状況に置かれているかというとだ。
牧原がバイトに行くっていうもんだから、ちょっと冷やかしにでも行こうと付いていくと、バイト先だっていうドラッグストアの入口で変な男に足を引っかけられた。
運動神経は悪くない俺でも、予想外の不意打ちに、あっと思った時には床と仲良くなっていたわけだ。

顔面を正面からぶつけたせいで、俺の額は赤くなり軽度だが広範囲でかすり傷をうけた。
そんなこんなで、今は店の奥の事務室で牧原から傷の手当てを受けている。

なんで、こんなめに合わないといけないんだ。この俺が。


「はい、出来ました。これで大丈夫です」


牧原の言葉に我に帰ると、牧原は手当てをしていた道具を片づけているところだった。
部屋の片隅にはめてある鏡に自分をうつしてみると、そこには思っていた以上に大きな絆創膏が居座っていた。


「おぅ。ってか、なんだ?このでけぇバンソウコウ」
「傷口の範囲が、結構広かったんです。いいじゃないですか。もともと男前なんだから、それくらいじゃ歪まないですよ」
「へぇ、一応、俺のこと男前だと思ってんだ?」


牧原からの意外な言葉。俺はにやりと笑って牧原の顔を下から覗き込むようにしてみる。
すると、牧原は驚いたようにビクリと身体を震わせて、しどろもどろに言葉を紡ぎだした。


「えっ。いや、それは、……みんな思ってることですから。別に私だけってわけじゃ」
「ふうん。それって俺がほかの女からも男前だと思われてることに嫉妬してんの?」
「や、だから、ちが……その、私は」


最近の牧原は見ていてひどく面白い。
なんというか、人間味のなかった牧原から普通の人間らしい感情を感じるようになった。
まるで、一人の女でも見ているような気になる。だから、ついつい目を背ける顔を覗き込みたくなるんだ。

あたふたしながら益々真っ赤になっていく牧原の両頬そっと手をおいて、ゆっくりと近づくと今まで泳いでいた牧原の瞳が俺の目とぴったりと合う。
その瞳は困っているようで、どこか期待しているような色を帯びている。
となれば、その期待に答えないわけにはいかないだろう。


「……センパイ」
「黙ってろ」


お互いの顔を近づけていき、あと数センチでその唇が重なりあおうかというところで、牧原がそっと瞳を閉じる。
こうなってしまえば、彼女が俺の言いなりになることは今までの経験でわかっているから、俺は安心して2日ぶりくらいの唇を味わうことにする。
と、思ったのにだ。


「それくらいで男前だと思ってるんなら、まだまだだよねぇ。サキも意外と男見る目ないなぁ」
「うわっ、お兄ちゃん!」


あと1センチ、というところでその邪魔者は入ってきた。
俺以外の存在に驚いた牧原は大きな声で叫び、挙句の果てに俺の顔を思いっきり突き飛ばした。
くしくも牧原の掌が当たった部分は、さっき怪我をしてデカイバンソウコウが居座っている、まさにその場所だった。
……痛い。ものすごく痛い。


「っつ! ……いってぇ」
「す、すみません! 佐藤先輩! 大丈夫ですか?」


突然の痛みにうずくまるしかない。それを心配して牧原まであたふたし始める。
まるで数分前の再現映像じゃないか。
そんな俺たちを尻目にクククッと笑う嫌味な男は、さっき俺の脚をひっかけてデカイバンソウコウを付けることになった元凶だった。
すらりとした身のこなしに吊りあがった目は鋭く、それでいて顔のバランスが無駄にいい男は事務室の入り口でしきりに笑っている。


「さっきから、なんなんだ!」
「おいおい、なんなんだ、はこっちのセリフだよ。サキが珍しくサトシ以外の男を連れてるから、最初は様子を見てたけど。どぉ〜もいけすかないよな、お前。……お前こそ、何者なのかな?」
「お、俺は!」
「なぁ、サキ。コイツ、お前の何?」
「って、おい! 人の話聞けよ!」


自分から俺に話を振ってきたのに、俺が答えようとした時には、男の目は牧原に向いている。
その目は射るように牧原を見て、俺のことなんか目の端くれにも入れていないようだった。
その態度にも頭山サトシを話の引き合いに出された事にもカチンときたが、それ以上に気になったのが牧原の反応のほうだ。
俺に対しては、いつも都合が悪くなると目をそらして、妹のことになると無駄に睨みつけてくる牧原が、拗ねたように上目づかいで男を見返していた。

なんだ、その態度。俺には絶対にそんな甘えた顔なんかしねぇじゃねぇか。


「だって、先輩が……その、バイト先見たいって」
「コイツがここに居る理由を聞いてるんじゃないんだよねぇ。サキとコイツはどういう関係なの?」
「えっと、その、佐藤先輩は、センパイで……」
「へぇ〜、ふうん。お兄ちゃんに隠し事なんていいのかな?」
「べ、別に隠し事なんかっ」
「でもさ、サキは部活も入ってないし、今までだって先輩なんて連れてきたことないよね。ましてや、男だし。サトシ以外の男なんて連れてきたことないじゃん。そのうえ、こんなチャラ男なんて」


この2人の会話は、まるで王道のアットホームドラマなんか見てるようで、内心俺は驚いていた。
いつ何時でも、誰に対しても一定の態度と距離を取り続けているのに、こんな会話もできるのか。
牧原をここまで心許させる相手なのかと、ちょっと感心している矢先に男の最後の言葉だ。


「おい。俺はチャラ男なんかじゃねえ。こんなナリでも中身はしっかりしてんだよ。成績も優秀だしな」
「そういうこと自分で言っちゃうあたりが、バカ男だよね」
「なっ! ……てめぇ、言いやがったな」
「ちょっと! お兄ちゃん! いい加減にしてよ!」


牧原の珍しくデカイ声で、その場は静まった。
だからって目の前の男が反省しているわけもなく、相も変わらずニヤニヤと笑っている。
俺はその顔を見るだけで胸のあたりがムカムカしだしたので、とりあえず顔を背いておく。
牧原はというと怒らせていた肩を下ろし、いつもの弱々しい視線ですまなそうにしていた。


「すみません、佐藤先輩。お兄ちゃん、いつも人のあげ足取るのが趣味みたいなもので。で、でも、悪い人ではないんですよ」


ここに来る前に道端で言われた言葉の意味を、俺はここでようやく理解した。
あげ足取るのが趣味って、どんな奴だよ。
よくもまぁ、こんだけポンポンとイライラさせる言葉を言えるもんだ。
頭の回転は良いのは認めるが、性格はものすごく悪い。


「それはいいとして。結局、コイツは誰なんだよ。牧原」
「その、この人は私の……」
「〈牧原〉? 名前で呼ばせてないのか? ……へえ、そう。ふうん」


俺と牧原の会話を勝手に聞いていた男は、なにやら独り言でぼそぼそ喋ると、勝手に納得して物思いにふけり始めた。
しかも、その状態で俺のことをジロジロと見ているのだから気味が悪い。
と、その時、店のほうから声がする。


「すみませーん、レジお願いしまーす」


間の抜けた呼び声が店に客が来たことを知らせる。
その声に牧原は、ハッとしたように返事を返す。


「あ、はい! 今行きます! もう、お兄ちゃん、店は空けないでって言ったじゃない」
「あ〜、悪い。ヒサシを置いてきたから大丈夫かと思って」
「え! また、小学生に店番させてたの?」


牧原はそのあともぶつぶつを言いながら、店のレジへと向かった。
そうして、俺はこの変な男と2人にさせられたのだった。

牧原がいなくなったことで当然、事務室の中は微妙な雰囲気が流れ出す。
しかし、男はなにも気にしていないかのように、しばらくすると「ふぅ〜ん」と納得しながら俺のほうに近づいてきた。
そして、目の前まで来たヤツはふいに俺の方に右手を置いた。


「……な、なんだよ?」
「ま、なんだ。とりあえず、これだけは言っとく」


にこりと笑った男は、顔を俺の耳元まで持ってきた。
今世紀最大の悪寒が走る。


「今度から他人の可愛い姪っ子に手ぇだすのは、俺に許可取ってからにしてもらおうか。……中途半端なことしやがったら、薬漬けにすっからよぉ。覚えとけ、ガキ」
「っ!」


それだけいうと男は何事もなかったかのように、すっと俺から離れて店のほうに消えていった。
そいつの顔には満面の笑みがたたえられていたのは言うまでもない。そのうえ、鼻歌付きだった。

男が言い残した意味と急に変った話し方、その最大の悪寒にしばらく動けそうになかった。
男と入れ替わるように事務室に入って来た牧原は、壁際で不自然に立っている俺を見て不思議そうな顔をする。


「先輩? 大丈夫ですか? なんだか、変ですけど」


牧原の両肩をつかむと、彼女の顔をじっと見つめる。
俺の突然の行動に牧原は居心地悪そうに目をそらすが気にしない。
ここで俺にはある疑問が浮かび上がっていた。


「……なあ、あいつと牧原って、どういうつながり?」


俺の質問に牧原はキョトンとした表情。
なんだよ。その、知らなかったのか、とでも言いたげな顔は。


「つながり、ですか? 私の叔父ですけど。言ってませんでしたか?」


さらっと告げられたその言葉に、俺はめまいのする思いだった。


「言ってねえよ。叔父ってあれか? あの、お前の特別だとかいう」
「そうです。桜小路善(サクラコウジ ゼン)っていって、この薬局の店長で小さな町医者もしてます。姪っ子ってことで安く雇われてるんです。でも、お兄ちゃんは私にとってすごく大切な人ですから」
「……」


自慢気にニコリと笑った牧原を見た俺は、さっきの男の恐ろしい笑みが重なって背中に汗が伝った。
それはどう考えても血の繋がりを感じさせるものだったから余計にだ。

よく考えてみたら、牧原のこと「サキ」って呼んでいるのも頭山と叔父だけだ、とか言ってたよな。
これは最初に薬局に来た時からおかしいと思うべきだったんだろう。
額の傷とヤツの態度の悪さに目がいって、牧原との関係なんて全く気にしていなかった。

桜小路ゼン。牧原の母親の弟らしく、まだ28歳だから「お兄ちゃん」らしい。
真面目一本の牧原があれだけ慕う相手とあって、もっと固いヤツかと思っていたのに。


これは、頭山サトシよりも厄介に相手かもしれない。

あ? でも、あいつ、なんでわかったんだ? 俺が牧原に手ぇ出してるって。



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