そのに映るモノ 第6話-B




― side スグル


携帯の白い液晶画面を目にして、信じられない物を見るような牧原の顔。
舌打ちして顔を背けた。折り畳みの携帯を閉じると、静かな部屋に機械音が響く。

部屋に連れ込んだ時点では、いつもみたいにお互いの性欲を発散させるだけでいいと思っていた。
だけど、メイちゃんからの電話を受けながら、背後の俺に対して怯える牧原を見て考えが変わった。

本当はずっと思っていたことがある。
牧原はこの写真があるから俺に従うのだと。

そんなことは考えるまでもない。無理やり襲われ、あられもない姿を写真に撮られた。
嫌がる牧原に言うことを聞かせるため、俺は何度となくこの写真を脅しに使ってきた。
牧原は写真を突き付けられれば素直に従う。

逆にこの写真さえなければ、牧原は自由に振る舞えるんだ。

俺からいつでも離れられる。

「俺は今後一切、牧原に命令しない。写真も消えたんだ。お前は自由にすればいい」

牧原を自由にする。それはつまり、牧原は必ず俺の前からいなくなるということ。

牧原にとって俺は大事な妹を奪おうとする悪い奴で、自分を妹の代わりに抱く最低な男。
今までは写真を使って脅されていたが、その写真もなくなった今、彼女を縛るものはない。
そんな状況で、いつまでも最低な男の傍にいるはずがない。

牧原は今日、俺から離れる。

「どうして……どうしてですか? 佐藤先輩?」

そうだ。どうして俺は、俺にとって不利になる選択をするんだ。

今日一日、俺の知らない牧原サキを見た。
心を許す叔父に我がまま言ってみせる牧原、小さな子どもに素直な笑みを送る牧原。
彼らにそんな姿を見せるのはなぜか。

彼らは牧原にとって特別で、大切な存在なんだ。
特別だから、大切だから、牧原も心の底から嬉しい想いを素直にぶつける。

俺は、我慢で塗り固めた牧原しか知らない。

「『どうして』って? どうしてなんて今更、訊かなくてもわかるだろ?」

俺の顔を見た瞬間に恐怖をにじませ、顔を青くさせる彼女に不快感しか覚えない。
牧原は一度だって、直接、俺を見たことがないんだ。
いつだって脅されている事実を通して、妹の影を通してしか俺を見ない。

牧原、俺を見ろ。
俺はいつだってお前を見てるじゃんか。

なのに、お前はいつだってうつむいて、首を振る。

「わ、わかりません。どうして先輩がこんなことをするのか。わ、私にはわからない」

ほら、『わからない』なんてことばがでる時点で、お前は一ミリだって俺を見ちゃいない。
俺はお前のこと、ちゃんと観察してるぜ?
お前がどんなに俺を嫌って、どんなに俺から離れたいと思ってるか、見てたらわかる。

「ちっ、ムカつく」
「っ」

自然とこぼれでる苛立ちのことば。
ビクリと震える牧原の体が酷くか弱い。

それから、牧原は静かにことばを呟いた。

「それはつまり……飽きたってことですか?」
「……は?」
「メイを彼女にすることも、私で遊ぶことも、全部飽きたからもういらないってことですか?」

牧原は的外れな問いをさも真剣な目で告げている。
飽きたからもういらないだって? 馬鹿な。飽きたのはお前の方だろ。
いや、お前は最初っから俺に興味なんてなかった。

お前の興味はいつだって妹のメイちゃんと、そして……頭山サトシにあった。

その見間違いようもない事実を、俺はとっくの昔に気付いてる。
牧原が頭山サトシに好意を寄せるように、頭山だって牧原を見ていた。
たとえそれが牧原の感情に応えるものではなかったとしても、牧原はもうずっと昔から頭山の興味を一身に受けてきたんだ。

頭山サトシ、叔父や近所の小学生、それにメイちゃんも。
俺以外の誰もが、俺の知らない牧原を知っている。

「今は俺がどう思ったかなんてどうでもいいんだよ。問題なのは牧原、お前がどうしたいかだろ。お前はこの通り、今の時点で自由になった。良かったな、大っ嫌いな俺から解放されて。これで自由に自分だけの静かな時間を取り戻せるぜ。俺みたいな乱暴な男に無理やり抱かれることもない。―――お前は自由だ」
「っ……」

ベッドの上に腰掛けた牧原は大仰に肩をビクつかせ、弾みでベッドのスプリングが小さく軋む。

なにを動揺してんだよ。ここまで詳しく説明してやってんだ、お前はさっさとこの部屋を出て行くべきなんだよ。
そうだな、出て行く前に最低男の俺を一発引っ叩いて暴言を吐き捨てるのもいい。
とにかく目一杯、俺をさげすんで行けばいい。

もう二度とお前の顔なんて見たくなくなるくらい。

「佐藤先輩、一つだけ訊かせてください」
「なんだ?」
「先輩はメイを手に入れたわけでもないし、ただ私が邪魔になっただけ。それって先輩に新しい彼女さんが出来たってことですよね?」
「は?」

なにを言い出すんだ、こいつは。俺のどこに他の女をつくるような気配があった?
そんな馬鹿げたことをよくもまあ、唇噛みしめながら真面目に訊けるもんだ。
こっちは必死になってお前のこと考えてやってるのに、俺に新しい彼女が出来たって?

呆れて物も言えない。俺は牧原のふざけた質問を鼻で笑う。
でも、彼女が続けたことばに俺の息は止まった。

「新しい彼女さんが出来たってことは、佐藤先輩にもちゃんとその泣きそうな顔、慰めてくれる人が出来たってことですよね?」
「……ぁ?」

声がかすれる。
こいつは今、なにを言った?

泣きそうな顔、慰めてくれる人が出来た?

「……俺がいつ泣きそう顔をした」
「え? 今ですよ?」
「はあ? 馬鹿な嘘つくな」
「……気付いて、ないんですか? 佐藤先輩、今にも泣きそうな顔してます」

嘘だ。俺が泣きそうな顔をしてるだって?
俺は泣いちゃいない。泣きたくもない。その証拠に口元はこのとおり、いつでもニコリと笑える。

頬の引きつった皮膚が、顔に浮かぶのが笑みでないことを物語っていた。
認めたくもない。泣きそうだなんて、どうして……。

「俺が泣きそうに見えるなら、理由は……お前だ」
「え、私、ですか?」
「せっかく自由にしてやったのに、さっさと俺の目の前から消えないからだ。俺はお前がいなくなることを望んでるのに、それすらお前が気付かないからだ。そんなことも気付くことの出来ないお前が哀れで、だから泣きそうになってるんだよ! わかったらさっさと俺の前から消えろ!」

荒がる声が安っぽい部屋に響く。
冷静に考えれば、理由にもなっていない激しく馬鹿な言い訳だ。
だけど、少しも冷静でいられない今の俺には、俺の前にあるすべてを否定するしかない。

精一杯の力でにらみつける目に映ったのは、泣きそうに歪んだ牧原の顔だった。
なんだ、お前の方が泣きそうじゃんか。

「……せ、んぱい」
「うるさい。失せろ。もう、うんざりなんだ」

お前に振り回されるのは、うんざりなんだ。
雑念と牧原の存在を振り払おうと、髪の毛をかき混ぜる。

消えてしまえばいい、牧原も、この俺のいらない考えも。
それなのに―――。

「い、嫌です。あなたの前から消えるのは、嫌なんです」

消え入りそうな声で、目に水滴を溜めて、それでも力強く言う彼女の瞳から目が離せない。
そうだ。牧原はいつだって、どんなに辛い目にあわされたって、大事なことは俺の目を見て告げるんだ。

「スグル先輩から、離れるのは嫌なんです」
「っ」

それなのに、心のどこかでお前はいなくなったりしないと思ってる。

そんな風に考えてる時点で、俺の負けだ。

「俺がどっか行けって言ってんだよ! 聞こえなかったのか!?」
「聞こえました。でも、今の先輩には私に命令することはできません。私は自由なんでしょう?」
「ああ、そうだよ! 自由だから大っ嫌いな俺から離れられるだろ!? 自由の無駄遣いしてないでさっさと出て行けよ!」
「嫌です!」

女子に向けるべきじゃない怒鳴り声で当たり散らす俺に、牧原は一歩も引かず、強い視線を返してくる。
せっかく作ってやった逃げ道をこうもあっさり払い除けようとする牧原に歯軋りする。

なんで、お前は妙なところで頑固なんだ。「はい、そうですね」で離れればいいだろう?
そうすれば、お互い楽なのに。それとも今までの恨み辛みを晴らさないと気が済まないってか?

一向に退こうとしない彼女に苛立ち、顔を背ける。意味のないやりとりを終わらせたかった。
すると牧原は立ち上がり、俺の後を追ってバスローブの袖を掴んできた。
掴んだ袖をぐっと引っ張り、無理やりにでも俺の視線を合わせようとする。

「……なんだよ?」
「私が自由なら、自分の居場所も自由に決められますよね? だったら今は、―――あなたの傍にいます」

息が止まった。

「はっ……馬鹿、じゃねぇの」

短い沈黙の後、やっと出てきた声はらしくなく震えていた。





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