その
瞳
に映るモノ 第8話-A
― side スグル
俺はその晩、牧原をひどく扱った。
うつむきにベッドへ押しつけて、尻だけ高く上げさせてほとんど無理やり突っ込んだ。
牧原は痛みも快感もすべて枕で押し殺し、くぐもった声だけが耳に届く。
コンドームをつけかえて何度も何度も。
牧原が音を上げるまでやってやろうと思っていた。
それなのに、牧原は拒絶のことばをひとつも言わず、ただ眉を寄せて枕にしがみつく。
その態度がまたしゃくに障って、もっともっとひどくしてやりたくなった。
荒っぽさにしては静かな行為だった。
牧原の押し殺した声と結合部からの水音、窓の外の雨。
俺はいっさいしゃべらなかったし、牧原もことばを口にしない。
今、口を開けば、余計なことを言ってしまいそうで、ずっと奥歯を噛んでいた。
若いと言ってもさすがに一晩中、ずっとはできない。
何度目かの小休憩にペットボトルの水を飲んでいると、ベッドに横になった俺の、萎えたそれに牧原が口をつけた。
「おい」
疲れた体で牧原の肩を掴むが、いっこうに止めようとしない。
そのうちにまた起ってきて、止めるのも面倒になった。
懸命に快楽を与えようとする姿が、初めてこいつにフェラさせた時と重なって……。
あの時はまだ、牧原をメイちゃんの代わりとして抱いていた。
窓の外の校庭で体育の授業していたメイちゃんの方が気になって、牧原なんて本当はどうでもよかった。
そんな風に考えていたら、嫌がっていた牧原が急にやる気になりだしたんだ。
ぼんやり思い出していたら、現実の息子が限界になる。
「っ、もういい。やめろって」
肩を押すけど、牧原は止めない。俺は短く息を吐く。
「いいって。お前のなかでイきてぇ」
「……」
そこでようやく牧原は行為を止めた。体を上げると、困ったような顔をして口元を拭う。
俺は無言でペットボトルを渡して水を飲ませた。
牧原は今でも、俺がメイちゃんの代わりに牧原を抱いていると思ってるんだろうか。
そんな風に考えたせいで、〈牧原サキとして抱いてくれ〉なんて言い出したのか?
そう思ったら、無償に嫌になった。
俺は座ったまま牧原をひざに乗せ、向かい合った状態でゆっくりとつながった。
「っ、う……はっ」
耳元で挿入時の感覚を押し殺す牧原の声が聞こえる。
お前はどんなつもりで抱かれてるんだ? なにを考えて俺とつながってる?
俺はもうとっくに、お前しか抱いてないのに。
「―――サキ」
「っ」
相手の肩が大きくびくりと震える。
俺はぴたりと体をひっつけ、ただ入れただけの状態で動かずいた。
耳元で熱い吐息とともに、何度も繰り返し名前を呼ぶ。
「サキ、サキ、―――サキ」
「あ、う、ぁ」
今日、初めて快楽の声を聞いた。
名前をくりかえせば、それだけでこいつの体は震えて、首筋にしがみつく力が強くなる。
何度も、何度も、名前を呼べば、そのうちに快楽の声は涙に濡れた。
動いてもいないのに気持ちが良くて、つながった部分だけじゃなく体全体が熱かった。
俺はうわごとのようにことばをくりかえす。
「はっ、サキ、……サキ、好きだ。……お前が好きだ。誰よりも、ずっとサキだけが」
「ぅ、先輩、せんぱい」
「名前で呼べよ。お前に呼ばれたい」
「ぁ、うあ、スグル、……スグル、せんぱい」
俺たちはその晩、二人でぐずぐずになりながら抱き合った。
ドラマや映画で馬鹿にしてたベッドシーンみたく、甘ったるいことばを繰り返し、甘ったるく互いの名前を呼び合った。
ずっと内に秘めていたことばのはずだった。
それなのに、口にするたび想いはこぼれ落ち、無償に泣きたくなる。
なあ、サキ。俺の想い、ちゃんとすくい取ってくれてるのか?
「―――サキ、どこにも行くな」
●●●
サキの意識が落ちた頃には、三時をすぎていた。
さすがの俺も体の節々が痛む。立ち上がるのもやっとだったが、乾いた喉に炭酸水が欲しくなって冷蔵庫に向かう。コーラをとりだして、ぐいと呷った。
ベッドでは脱力したサキがこちらを向いて眠っている。
ふと、部屋にかざったコルクボードに張った写真が目に入る。
姉貴が勝手に飾っていったものだ。部屋に散らばっていた写真を選んで張ったんだろう。
一郎や馬鹿な男友達、果ては中学の時の写真まである。そろそろ飾っておくには恥ずかしい写真だ。
当たり前だが、サキの写真はない。
俺たちは写真をとるような間柄じゃなかったし、それにこれからだって……。
「どっか、消えたりしないよな?」
暗闇にぼんやり映るサキの顔を撫でる。その手は馬鹿みたいに震えていた。きっと疲れてるせいだ。
俺は鼻元をぬぐって、ベッドのサイドテーブルに光が調節できる電気スタンドを持ってきた。
スタンドの光を弱にして、眠るサキの顔を浮かびあがらせる。
静かに眠るその寝顔を眺め、タンスから出してきた小型のデジタルカメラで一枚撮った。
フラッシュを焚かずに撮ったから、サキが起きることはなかった。
液晶画面に映る一枚の寝顔を見て、俺は明かりを消してカメラを仕舞い、サキの隣に潜りこむ。
ベッドのきしみが気になったのか、サキが身をよじって寝返りを打つ。
サキの細い手に俺の手を当てたが、考え直して引っ込めた。
俺の意志で相手を縛るわけにはいかない。サキが自分で選ぶと決めたのだから。
しばらくサキの寝顔を見ていると、知らぬ間にまぶたは閉じていた。
●●●
目が覚めたら、サキはいなかった。
散らばった服もメモ書きも、なにもない。いつもの一人暮らしの部屋だった。
俺はしばらく裸のままぼんやりしていた。
一郎からメールが来た。仲間数名とカラオケに行かないか、という誘いを見て今日が土曜だと知る。
うちの学校は土曜日に授業はない。一郎の入っているサッカー部はグランド整備で休みらしい。
そのメールには断りを入れて、出掛けるために着替えを探す。
昨晩、情事が終わってから決めていたこと。
眠って目覚めたら、俺も俺の好きなようにしよう、と。
昨日までずっと待っていた。サキが起きたらいないかもしれない可能性も考えて、あえて眠ったんだ。
次の朝、起きた時からはもう待つのを止める。サキが動くなら、俺も好きなように動くんだ。
お前がなにをしようとしてるのかは知らない。けど、お前が馬鹿な女じゃないことは知ってる。
ただ少し頑固で、意地っ張りで、愛されることを知らないだけだ。
財布と携帯を持って家を出る。
行き先はとりあえず、桜小路の薬局だ。
薬局の前に着くと、いつか見たように桜小路がカエルの置物に腰掛けてタバコを吸っていた。
「よお、佐藤スグル。来ると思ってたよ」
「……」
桜小路はタバコ片手に、口の端を上げる。
俺は不機嫌を隠さず、眉を寄せて低い声でたずねた。
「サキは?」
「〈サキ〉? いつから呼び捨てにするような仲になったんだ。いくら待ちくたびれたからって、お前の勝手で呼んでいい名前じゃないよ」
「昨日、サキと寝た」
「……」
今度は相手が黙る番だった。桜小路は一瞬、渋い顔をしたあと、深いため息を吐きだした。
短いことばですべてを悟ったんだろう。桜小路はゆっくりタバコをふかすと、バカにした態度を引っ込めた。
「サキは来てないよ」
「どこにいる?」
「さあ? 実家じゃない? ……お前が行ったってなにもすることはないよ」
きびすを返して歩きだそうとする俺を、桜小路が引き止める。
足を止めた俺は、確かにその通りかもしれないと思った。
サキが実家に帰ったなら、ある程度の覚悟があってのことだろう。
それがどんな形をとることであれ、俺が行ってできることはない。
また待つのか、俺は。
無意識に舌打ちすると、桜小路は乾いた笑いをもらした。
「暇ついでに俺の話でも聞いてけば? どうせ、お互いすることないんだし」
「はあ? なんで、俺があんたの話なんか聞かなきゃならねえんだよ」
「まあ、そういうなよ。これは一種の罪滅ぼしさ。サキをあんな境遇に置いたのは、―――俺だから」
目を見開き、やつを見る。
桜小路はタバコをくわえ、薄い笑みを浮かべていた。
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