そのに映るモノ 第8話-B




― side サキ


数年前、ひどい雪の日だったと思う。
珍しく酔っ払って薬局に帰ってきた私の叔父、桜小路善は唐突に昔話を始めた。

どうしてそんな話をする気になったのか、それはゴミ箱に捨ててあったシルバーリングが教えてくれた。
イニシャルが入った二つのリングは、その日、お兄ちゃんが愛していた女性に渡した物。
いや、正しくは渡し損なったものだった。

―――俺はなんでもできる男だよ。なんでも成功させてきた男だよ。

人生で最大の挫折を味わっただろう日、お兄ちゃんの話はそんな風に始まった。



私とメイの母親、つまり桜小路善の姉は一般的に〈優秀なこども〉だった。
成績優秀、運動神経もよく、彼女はだれにでも好かれた。彼女は両親の自慢であった。

年の離れた弟ができるまでは。

弟は幼くしてすぐに、その才能を発揮しはじめる。
年齢にそぐわぬ能力は人々の注目を集め、年を重ねるごとに周囲のおどろきは増す。
それでいて、本人はその才能を誇ることもせず、なんでもないことのようにやってのけるのだ。

事実、桜小路善にとって、自分の才能などなんの興味のないことだった。

しかし、彼の姉にとってはそうではない。
両親は決して彼女を見下したりはしなかったが、彼らの注目は自然と弟へ偏った。

姉がどんなに努力して結果を残そうと、弟は軽々とその上をいく。それも、何の努力もなしに。
彼女にはそれが許せなかった。だから、彼女は決めたのだ。

―――「私に子どもができたら、周囲が見捨てるようなダメな子だとしても、私だけは精一杯、愛してあげる」、それが姉さんの口癖だった。

このことばの意味に弟が気付いたのは、彼が大学病院の職を蹴った時だ。
弟は大学の医学部を首席で卒業、医師免許をとって大学病院の研修を終えた後、引く手あまたな勧誘を断り、小さな薬局を開いた。
それはすべて周囲の期待を裏切る行為であり、彼にとってはどうでもいいことだった。

当時、彼には二人の小さな姪っ子がいた。

姉が産んだ双子の女の子たちを、母親になった彼女は心底、愛した。それこそ平等に。
だが、この均衡は少しずつ崩れ始める。弟が決定的な崩壊の音を聞いたのは、双子が小学生にあがった頃だ。

―――姉さんはさ、想定してなかったわけだ。〈できの良すぎる子ども〉を授かる可能性を。

彼は双子が泊まりにきた時、彼女らの一方におかしな痣を見つけた。
町医者のまね事をしていた彼には、それがどういうことかすぐにわかった。

弟はすぐ、姉に対して問い詰めた。

―――あなたが言えることなのか、って言われたよ。「好き勝手に生きてきた、あなたは言える立場にないでしょ」。

そのことばを聞いて、弟は姉の偏見が自分によるものだと気が付いた。
これは、自分のそばで懸命に生きてきた姉の、大きすぎる《報復》だと。

同時に知る。姉もまた、戸惑っていたことを。

母親となり、一般の目から上下差のある子どもを授かった。
もし、できの良い子どもを可愛がれば、自分たちの二の舞になる。
どんなに世間が見捨てても、できが悪くても、わたしだけはこの子を可愛がるのだ、そう決めていたはずだ。

そう考えた彼女には、でき悪い子を可愛がるために、できの良い方を邪険にする必要があった。

たとえ、それがある意味で、自分たちの二の舞だとは思わずに。



その日、お兄ちゃんは私に「選べ」と言った。
姉さんは俺のせいで選べなかったけれど、お前の選択は俺が守る。そう言ってくれた。

今なら、その意味がわかる。

あの人のそばにいたいと望む、今なら。
あの人が私の名前を呼んでくれる、今なら。

だから、もう少しだけ待っていてください。必ず、あなたの隣に帰るから。


―――私は、三日ぶりに自宅のとびらに手をかけた。






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