そのに映るモノ 第9話-@




― side サキ


背後で玄関のとびらが閉まる。その音がやけに響くくらい、家のなかは静まり返っていた。
予想はしていたけれど、いざこの場に立ってみると足が震える。
自分の家の玄関に立って、こんなにも緊張する人間がどれだけいるだろう。

「サキちゃん!」

リビングのガラス戸が開いて、妹のメイが飛び出してきた。
玄関のドアの音を聞きつけたのだろう。彼女は私の顔を見るなり、ひしと抱きしめてくる。

強い腕の力が離れて、メイは泣きそうな声で叫ぶ。

「どこ行ってたの! どうして連絡くれなかったの! ずっと、ずっと心配してたのに……」
「ごめんね、メイ。いろいろ事情があって、連絡できなかったの」
「サキちゃんはあたしのこと、……嫌いになったの?」

その声はもうほとんど涙に揺れていた。
いつも絶え間ない笑顔が浮かぶ彼女の顔には色が無く、かなりの疲労が見られた。

今さらのように自分がしたことの重さが身に染みる。
メイがこんな心配をするのも無理はない。混乱していたとはいえ、メイには特に酷いことをたくさん言った。

私はむしろ、今でもメイがこうして話してくれることが驚きだった。

「メイこそ、私となんてもう話したくないんじゃないの? 酷いこと、いっぱい言ったんだよ? サトシにも言われたでしょ、もう関わらない方がいいって」
「そんなことないよ! サトシだって、サキちゃんが大変なら支えていこうって、辛いなら助けてあげようって言ってたもの! サキちゃん、お願いだから離れていかないで! サキちゃんのためなら、あたしなんでもする!」

ぽろぽろとこぼれだした涙が、メイの頬を伝う。
あふれる涙を目元からぬぐってやり、私は深く息を吐いた。

メイが私のために力を尽くすと言う。それはもちろん、嬉しい。
だからこそ、これから自分がすることへの罪悪感が増す。

これは、最初から最後まで、私自身のためだから。

私は目を上げて、涙にぬれるメイの瞳を見る。

「メイ、お母さんはリビングにいる?」
「いるよ。お母さん、サキちゃんが帰ってこなくてなってからずっと家にいる。お父さんはお仕事だけど、……サキちゃん?」

靴を脱いで廊下にあがり、メイの手を引いた。

「お母さんに話があるの。メイにも聞いてほしい。来て、くれる?」

メイの視線が辺りにちらばる。彼女なりにことばの意味を考えているのだろう。
私はじっと妹の答えが出るのを待った。それから、戸惑いながらも小さく頷いたメイと一緒にリビングへ向かう。

リビングのドアを開けると、私たち二人を見るなり、母親はイスから立ち上がった。
もとから細い印象の人だったけれど、この三日で頬の肉が落ち、骨が浮きでたように感じる。
血走った目を見開き、私のそばに来るなり手を上げて頬を打つ。

「さ、サキちゃん!」

悲鳴じみたメイの声が後ろで聞こえる。彼女に母親の暴力を見せるのは初めてだった。
ずっとそうした仕打ちを隠してきたけれど、もうそれすらどうでもいいのだろう。

私は痛みのひびく頬を見せぬよう、後ろを向いた。

「メイ。悪いけど、やっぱり廊下で待っていてくれる? 少し話をするだけ。大丈夫だから。ね?」
「で、でも、でも……」

小さく震えるメイに向かって口の端を上げる。形だけでも余裕があることを示したかった。
メイが廊下へ去っていくと、リビングには静寂が降り立つ。

母親の目は燃えるような憎しみをもって、私をにらむ。

「勝手なことしてくれたわね。どれだけ迷惑かければ気が済むの? メイは暗い顔でいるし、近所では質問攻めにされる。あの人まで、私に向って怒鳴り散らしたわ。今まで育児なんて見向きもしなかったのに、どうして今頃になって指図されなきゃいけないのよ。お前のせいだなんて、あの人が言えた義理じゃないわ」

その話は少し意外だった。
この家にいる子どもはメイだけで、私の存在がどうなろうと家族は変わらないと思っていたのに。
それが父親までもが母親に怒鳴り散らしたというのだ。

思案する私に頬に再度、衝撃がぶつかる。

「っ」
「私が話してるのに、ぼおっとしてるんじゃないわよ! それもこれも、全部あなたのせいなんだから!」

彼女は間違ってなんかいない。今回の騒動を引き起こした責任は、すべて私にある。
メイが暗い顔しているのも、近所で質問攻めにされるのも、父親が怒鳴るのも、すべて私のせいだ。

ぶたれた左頬に手を当てる。熱がこもってひりひりする。

「私は、あなたを憎んでなんかいません。そんな権利、私にはないと思っています」
「なによ、急に。そんなの当たり前じゃない。私はね、あなたを今まで生かしておいたのよ? 望みもしないのに産み落として、必要もないのに寝床も食事も与えてきた。そんな私を憎むですって? 許されるはずないでしょ、あなたなんかに。あなたなんて、生まれるべきじゃなかったのに!」

母親の悲痛な声は家を震わせる。

「私をここまで生かしてくれた。確かにそのことにも感謝しています。でも、私が本当にお礼を言わなければいけないことは別にある」
「なによ?」
「あなたは、メイを育ててくれた。あんな純粋で、世界一の良い子に育ててくれた。誰からも愛される彼女を産んでくれた。私の生きる希望を、そばに置いてくれた。私はあなたに感謝しなければいけません」
「はあ? 今さら機嫌をとったところでねえ」
「―――だから、お願いがあります」

私は顔を上げた。一番、大事なことを伝えるために。
もうずっと見つめたことのない、母親の瞳を見るために。

このすべての悪循環を、断ち切るために。




「家族の縁を、切らせてください」






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