らないきみ B



会社説明会から帰った翌日、12時ごろに起きたおれが最初にしたことは、ソラの住所を訊いてまわることだった。

大学に行って、ソラの取り巻きをしている女子に片っ端から聞きまくった。
彼氏であるおれがソラの家を知らないというのは、おかしな話かもしれない。
けど、ソラは一度も自宅へ招いてくれたことはないし、取り巻きの女子からもソラの家に行ったとはしゃいでいる話を聞かない。

謎に包まれたソラの自宅、手間取るかと思ったが案外、早く住所はわかった。
女子の何人かが年賀状を出すという理由でソラから住所を聞いていた。

教えられた住所を頼りに、その日の午後七時ごろにお宅訪問をする。

目当てはもちろん、ソラだ。

彼女は2日で帰る、なんて言っていたけど、今すぐ問いたいことは山ほどあった。
日中はあの会社にこもりっきりでも、夜になれば家にいるだろうと踏んだのだ。

で、住所の場所に来てみたんだが。

「……でかい」

豪邸だった。

もうそりゃあ、お屋敷と言っていいほどの規模だ。玄関から建物の全容が見渡せない。
造りは和洋折衷の増築に増築を重ねたような複雑な形をしている。

ソラって、もしかして金持ちなのか?

とにかく、本人に会って問いただすしか道はない。
おれは思い切って、豪邸のチャイムを鳴らした。

「はいはい、どちらさま? って、あれ? 彼氏くん?」
「え、……カオルさん?」

出迎えてくれたのはソラではなく、ソラの元カレであるホストのカオルさんだった。

なんで?

ふたりして硬直する。
最初に状況を理解したのはカオルさんだった。

「もしかして、お嬢に会いにきた?」
「あ、はい」
「そっか。お嬢、彼氏くんとも連絡取ってないんだろ。だよね、イライラしてるだろうから」
「あの、なんで、カオルさん……」

カオルさんはおれの疑問に、「ああ」と頷く。

「言ってなかったっけ? ここ、俺の家でもあるんだ。お嬢と俺は〈家族〉だから」

ふわりと笑った、ジャージ姿のイケメンはやっぱりどんな格好でも男前だった。
完全に部屋着でくつろいでいただろうカオルさんは、嫌な顔ひとつせず家に上げてくれた。

「ごめんね。お嬢、あっちにいる時はここにも帰って来れないんだ。予定では一週間だから、明日には帰ってこれるかな。まあ、上がりなよ。お茶くらい出せるし」

格式高い和の玄関と、磨かれてぴかぴか光る木の床に足がすくむ。
なんだ、これ。普通の家の玄関じゃない。普通の玄関には鷹の剥製があったりしない。

靴を脱いで上がると、廊下の隅っこでなにかがひょこりと顔を出す。

「カオル。だれ、それ?」

小学生くらいの男の子だった。大きな目にさらさらの黒髪、人形みたいな男の子。
その子はまばたきもせずに、おれとカオルさんを交互に見た。

「お嬢の大切な人。ミナト、お茶とお菓子だしてくれよ。客からもらったのがまだあったろ?」
「いいけど。テンシがまだ仕事に出てない。見つかったら怒るよ」
「あー、わかった。適当に対処する」

そう言って、男の子はパッと姿を消した。座敷わらしみたいな子だな。
ソラとはどういう関係なんだろう。弟? いや、ソラに兄弟がいる話は聞いたことがない。

ふと、そこであることに気が付いた。

「カオルさんって、ソラの兄ちゃんなんですか? ああ、いや、そうなると元カレじゃないっすよね。あれ? でも、一緒に住んでるし」
「あはは、彼氏くん混乱してるね。まあ、そりゃそうか。うちの〈家族〉はいわゆる普通ではないから」

カオルさんの後に続いて、入り組んだ建物を歩く。
道中、カオルさんはソラの〈家族〉について話してくれた。

「うちの〈家族〉、つまりお嬢の〈家族〉は彼女を入れて全部で5人。一番下がさっきのミナトで、その上に中学生の女が一人と、次にお嬢でしょ、その上にバカでうるさいのが一人、一番上が俺」
「あの、みなさん、血は……」
「繋がってない、一人もね。でも、それ以上の絆で結ばれてるって言えばいいのかな」

こんな話、ソラからは一言も知らされていない。
今まで特に気にしたことはなかったけれど、もしかしたら意図的に家族の話は逸らされていたのかもしれない。

「ソラの、ご両親は?」

カオルさんが三叉路になっている廊下で立ち止まる。
どちらに行こうか迷っているようだ。

「お嬢のお母様は8年前に亡くなってる。父親は、……ちょっとわかんない。死んでてくれたらいいのにね」
「え」

首を傾げて、少し迷ってからカオルさんは右を選んだ。
少しだけ、ほんの少しだけカオルさんが笑ったように思えた。

彼が通してくれたのは、小さな和室だった。
家具は5段のタンスがひとつ、押し入れがひとつ、それだけ。

「座って。そのうち、お茶もくるから」

押し入れから出してきた二組の座布団が向かい合わせに置かれる。
狭いとはいえ和室にイケメンと向かい合って座るのは変な感じだ。あいだに机がないと、どうしてこうも不安になるんだろう。

片膝を立てて座ったカオルさんが小さく欠伸をする。

「今日、お仕事はいいんですか?」
「うん、今日は休み」
「え、すみません。せっかくのお休みに、邪魔して」
「いいよ。彼氏くんもただお嬢に会いたくて来たって感じじゃなかったし。なんか思い詰めたような顔してたよ?」

すべてお見通しってわけだ。
さすが、あの男前なソラと住んでいて、輝きを失わないホストなだけある。
なんて、意味のわからない納得をしながら、ソラへの疑問を打ち明けてしまおうとどうか真剣に悩んだ。

「昨日、久世エンターテイメントの会社説明会に行って来たんです。そこで、……ソラに、会って」

カオルさんの目線が一瞬、どこかへ散った。
この話題はまずかったかと声を引っ込めれば、相手に続きを促される。

それで、おれは洗いざらいを話すことになった。
ソラと意外な場所で再会したこと、大会社の社長と一緒にいたソラのこと、無表情な金髪の外国人のこと。
もちろん、ソラとよからぬことをよからぬ場所でしてしまった話は省いたけれど。

カオルさんは形の良い唇に手を当て、思い詰めるように話を聞いていた。

「まさか彼氏くんが偶然にも〈あの人〉に会っちゃうなんてね」
「あの人?」
「あの会社の社長、久世幹也(くぜみきや)。俺たち家族の保護者といえばいいか、庇護者といえばいいか。俺個人としては監視者だと思ってるけど」
「はあ……」

立ち上がったカオルさんは、低いタンスの上からタバコと灰皿をもって戻ってくる。
マッチを擦って、唇に挟んだタバコに火をつける。深く吸い込んで軽く煙を吐く。

漂ってくるメンソールの突きぬける香り。

一連の動作を目で追いながら思う。タバコってこんな色気のあるものだったのか。

「あ、ごめん。彼氏くん、タバコ大丈夫だった?」
「大丈夫です。大学でも吸うやつはいるし」
「それって、お嬢のこと?」
「え? 違いますけど。ソラ、タバコ吸わないですよね?」

カオルさんのことばに驚いて目を上げる。眉を上げたカオルさんとかち合う。
その目はすぐに逸らされて、相手は煙を吐くためうつむいた。

カオルさん、なんでタバコの話でソラだって思ったんだ?
大学に入ってからの付き合いだけど、ソラがタバコを吸ってるところなんて見たことがない。

それから顔を上げたカオルさんは、なにも変わらずふわりと笑っていた。

「カオルさん?」
「なんでもないよ。ねえ、彼氏くんから見たお嬢ってさ、どんなの?」
「どんなって言われても……。まあ、頭良くて、しっかり者で、おれの考えなんて全部見抜いてる。ひとことで言えば、やたらと完璧なやつですよ」

普段のソラの性格を分析していて思い出す。
あの会社で会ったソラは、倉庫に連れ込まれる前のソラは、いつもの彼女じゃなかった。
完璧さっていうのはいつも余裕があるから生まれるものだ。それなのに、あの時のソラはどこかイライラしていて、いつもの突きぬけた笑みではなく無理やりつくった弱い笑顔でしかなかった。

「久世さん……、久世社長とソラはどういう関係なんですか?」

カオルさんの眉間にシワが寄る。

正直、少し怖い。だが、今日はこのことを聞きにきたのだ。
相手がソラであれ、だれであれ、知っているなら教えてほしい。

「どうして、ソラは久世社長の下で秘書のまね事なんてしてるんです?」
「答えられない」
「どうしてですか!」
「〈あの人〉といるお嬢は、きみの知ってる宮口ソラじゃないから」
「……意味がわかりません」

ガラスの灰皿にタバコの灰が落ちる。
赤い小さな火がタバコの先でジジッと音を立てる。

「簡単なことだよ。きみが言った通りのこと。頭がよくて、しっかり者で、やたらと完璧な宮口ソラ……ではないってこと」
「ソラは、ソラだ」
「この部屋、どう思う?」
「は?」

なにを急に言い出すんだ。

カオルさんは細めた目で小さな和室を眺めまわす。
つられて目をやっても、戻ってくるのにそう時間はかからない。

「殺風景な部屋だとは思いますけど」
「ここ、お嬢の部屋なんだ」
「え」

言われても、もう一度、部屋を見渡す。
衣装箪笥、押し入れ、狭いはずの和室はむき出しの畳の面積が多すぎる。

ここに、ソラが住んでる?

あの多趣味で多彩な彼女が寝起きする部屋にしては、物が少ないと思った。

「ね、寂しい部屋だろ? いつでも捨てられる部屋だ。ううん、いつ持ち主を失っても、困らない部屋かな」
「カオルさんは、おれの知らないソラを知ってるって言いたいんですか?」
「目が怖いな。そう怒らないでくれよ。血は繋がってなくても、俺はお嬢の家族なんだからさ」

家族相手に妬くなんて器量が狭いぞ。
カオルさんは楽しそうに笑ってそう言った。

妬いてるわけじゃない。
ただ、カオルさんのほのめかすソラの虚像は、まるで俺からソラを遠ざけようとしてるみたいでイライラしただけだ。
おれはソラを知っているし、彼女が本気で好きだ。ソラだっておれに好意を向けてくれる。

それだけは信じていいはずだ。




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